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切腹について

1 :ぽんぽん:2000/02/01(火) 18:36
書いてください。

2 :切腹は:2000/02/01(火) 18:42
刃が命! ナマクラでやると死ぬほど痛い。
しかし竹光で切腹した人がいたというから
昔は武人が多かったのだろう。


3 :名無しさん:2000/02/01(火) 18:46
一回一回、適当なHNつけて、どうでもいい投げやりなスレッドを
どんどんたててくれてるけど、同じ人なんでしょ?
せめて問題提起ぐらいしてみなよ。詰まらなすぎるよ。

4 :名無しさん:2000/02/01(火) 18:46
1=2ってわけか?

5 :ちがいます:2000/02/01(火) 19:44
私は2ですが1ではありません。
それは1の人が一番ご存知の筈。

6 :3=4:2000/02/01(火) 21:21
>5
そうか、それは失礼。ただ、こんな取り留めのないスレッドが
立ち上がってから、たった6分で訳のわからない(重ねて失礼)
レスがついていたので自作自演だと思った。
あなたは律儀な人ですね。

7 :名無しさん:2000/02/01(火) 23:08
江戸時代の切腹は多分に形式的なもので実際は腹を掻っ切ることは
殆どなかったらしい、と以前本で読んだ事があります。

8 :名無しさん:2000/02/02(水) 04:37
腹を切った瞬間に痛がらないようにすぐ介錯するのが「情け」だったとか。

9 :名無しさん:2000/02/02(水) 04:38
とはいえ、なまくら刀では首がすぱっと斬れず、何回も何回も
首に刀を当てるという目をそむけたくなるような光景になった
ことがままあったようですな。

10 :>9:2000/02/02(水) 11:51
介錯人の腕もあるでしょうしね。
痛そー!!

11 :正式作法(江戸時代):2000/02/02(水) 12:34
1:座る。
2:手前に竹光の乗った三宝が運ばれる。
3:介錯人が名乗る。
4:竹光を取るような感じで右手を心持ち
  前に出してかがむ。
5:介錯人が首をはねる。

と聞いたことがあります。つまり実際には
腹は切ってません。ただし何かの責任を負って
自分で勝手に切った場合とか、主人への殉死
(追い腹と言って実は固く禁止されていた)の
場合は実際に腹を切っていたそうですが。

12 :名無しさん:2000/02/02(水) 12:43
11> 扇腹ってやつですね。
商腹ってなんなんでしょう?

13 :赤穂浪士は:2000/02/02(水) 13:55
どうだったのかな?


14 :>13:2000/02/02(水) 14:35
ひとりだけ本当に腹を切って担当の役人があわてたそうです。

15 :名無しさん:2000/02/02(水) 16:01
真似事かぁ。
儀式ねぇ。
別のスレッドに三島由紀夫があったけど、
彼も本当に切ってないんだろうなー

16 :蝉丸:2000/02/02(水) 16:11
三島は実際に腹を切ったようですよ。死体検分の要旨を読んだことがあります。
しかも相当深く切ったようです。何センチ切ったということまで書いてあったと思います。

17 :名無しさん:2000/02/02(水) 16:40
>16
どこにあるんですか?@_@
要旨って

18 :名無しさん:2000/02/02(水) 21:58
良く切れる刀で腹を思いっきり刺して、切っ先が脊椎脇の大動脈を
切ることが出きれば即死できるそうです。これが正しい方法とか・・

19 :tu-ka:2000/02/03(木) 03:15
そんな切腹、庶民の打ち首と変わらないよね

20 :名無しさん:2000/02/03(木) 08:08
でも武士の死刑の中では一番罪としては軽かった
らしい。今の感覚じゃあどんな死に方しても
処刑は処刑なんだけど。

21 :名無しさん:2000/02/03(木) 10:47
上杉家では一生、刀を取り上げられる刑より切腹のほうが罪が軽かった。

22 :蝉丸:2000/02/04(金) 15:52
>17
10年ぐらいまえに本で読んだんですがねえ。
題名忘れちゃいました。どういうふうに切腹したか、解剖検知が
かなり具体的に書いてありました。

23 :先月号の:2000/02/07(月) 02:39
「諸君」に三島の切腹の様子も載ってますよ。

24 :風化:2000/02/08(火) 18:27
なぜかじーんとしてしまいました。

http://www14.big.or.jp/~crest/MISIMA.HTM

25 :名無しさん:2000/02/09(水) 17:38
先祖が南瓜畑で切腹させられたので、南瓜を作ってはイケナイ。
これ、我が家の家訓らしい。

26 :名無しさん:2000/02/09(水) 20:59
武士が死罪になると禄は没収になるが
切腹は(形式上)自害なので相続が許されたって本当ですか。

27 :>26:2000/02/10(木) 05:21
uso

28 :名無しさん:2000/02/11(金) 04:03
終戦時、海軍の大西中将は「神風特攻隊の責任をとる」
と称し、介錯なしで切腹。6時間以上生きていたらしい。


29 :>28:2000/02/11(金) 08:30
・・・痛かったろうな・・・

30 :名無しさん:2000/02/11(金) 23:18
その後死人に口なしで特攻隊の責任を
全て大西に押し付けて知らん振りしていた
特攻関係者が多数。

31 :ハラキリ:2000/02/20(日) 21:50
ここに切腹の場面の描写あった。
新渡戸稲造がどうのこうってとこ

http://www.geocities.co.jp/Beautycare/3914/



32 :KZT:2000/02/22(火) 23:55
切腹が本当は切っていないというのはショックですわ。
武市半平太の三文字切腹の話は感動したんだけどなー。

33 :三文字って:2000/02/23(水) 00:47
「ち・ん・こ」?

34 :33:2000/02/23(水) 01:05
本棚にあった『中岡慎太郎と明治維新』が
突如頭に落ちてきた(マジ)。
あやまっとく。ゴメン。


35 :名無しさん:2000/02/23(水) 01:08
死ぬほど痛い。

36 :>33:2000/02/23(水) 13:48
一応マジレス。
三文字とは腹に「三」の字みたく、三回切り込みを入れることです。
痛さも三倍、いや三乗か?
中岡慎太郎のたたり?と思って調べたら、見廻組に襲撃されて死んだので、
こりゃ違うかな?

>32
切っていることもママあったと思うんですがねえ。
みんながみんな扇腹だったとも思えないんですが。

>35
あはははは。

37 :名無しさん:2000/02/23(水) 21:10
切腹する方は横に切った後、縦に切って、切り口から手を入れて
臓物をつかみだす。介錯する方はすぱっと切ってしまわないで
首の皮一枚残してその後小刀で首を切り離す。

38 :十文字:2000/02/23(水) 21:20
たしか、南雲中将は切腹の中でも
最もきついと言われる十文字切りでは
なかったですかな?

十文字切り・・腹を横に切ったのち刀を上方にまわし
       のどもとまで切り裂く、切腹史上もっとも
       過酷といわれた方法
(注:出典を忘れて記憶のみで書いてあるので細部が違うかも)

39 :KZT:2000/02/23(水) 22:54
>38
近藤長次郎も十文字切りしたよ。
町民の分際なのにスゲー。

40 :名無しさん:2000/02/24(木) 09:22
最近、台所で包丁の先をお腹に当ててみることが多くなった。
いつかなんかの拍子で刺しそうで恐い。(~_~;)

41 :>38:2000/02/24(木) 10:34
映画「大日本帝国」で、南雲中将他がサイパン島の洞窟内で、自決するシーンがありますが、
その中では、ブスッと腹に刺したら、即座に介錯人が拳銃でとどめを刺していました。
もし十文字切りで自決していたのでしたら、そこもキチンと描写して欲しかった・・・。

42 :いつものように思い出し:2000/02/24(木) 20:25
切腹といえば
たしか堺事件。
外国人を襲撃した責任をとらされ
外国公使達の前で、武士達が切腹させられていくのだが
何番目か忘れたが、その武士は介錯を止めさせて
腸をつかみだし、外国公使達に投げつけた。
遂に外人どもは耐えられなくなり、その儀式の中止を願い出て、
残りのものの切腹は中止させられたそうな。


43 :名無しさん:2000/02/25(金) 00:09
三島由紀夫の切腹は忘れられないな。
自分が描いた美学を自分の死で完結させた。

44 :名無しさん:2000/02/25(金) 14:39
三島はきっちりと切ったようですな。
でも、深く切りすぎてその痛さにのたうちまわり、
介錯の森田必勝が首を落とすのに大変だったとか。

45 :名無しさん:2000/02/25(金) 16:17
>44
首を一度で落とせなかったって話は知ってるけど・・・。
痛さにのたうちまわったって本当?もちろんそうかもしれないけど。
何か出典ありますか?

46 :酷使夢想:2000/02/25(金) 21:18
>44
首きり浅右衛門に頼むべきだったね。

ついでに
<切腹>
士以上の武士に科せられた死刑。斬首より名誉とされる。
元来は自尽刑の一つであったが、室町時代には自尽の方法
として切腹が行われるようになり、江戸時代に形式が整った。
庭中に畳二枚を敷いて罪人をすわらせ、副介錯人の勧めで
罪人が三方に載せた木刀に手を出す時背後の正介錯人が、
首をはねる。
この刑は明治三年(西暦1870年)新律綱領に士族の自裁として
継承された。


47 :名無しさん:2000/02/25(金) 21:36
首切り浅右衛門について教えて下さい>上の方

48 :名無しさん:2000/02/25(金) 22:43
十文字切りは、喉元まで切ったあと、
真下に下ろすんじゃありませんでしたか

49 :南無八幡:2000/02/25(金) 23:09
>47
公儀介錯人。山田浅右衛門。
正式な役職にあらずともその「山田浅右衛門」
の名は代代世襲されたという。

ちなみにたしか有名な時代劇「子連れ狼」
拝一刀も元は公儀介錯人だったと記憶します。


50 :名無しさん:2000/02/26(土) 00:04
山田浅右衛門は身分としては浪人扱いだったそうです。
幕末まで七代続きました。
役得として、処刑した人間の肝臓をもらってそこから油をとって万病に効く薬と称して売り出し大儲けしていたそうです。

ちなみに「子連れ狼」にも山田朝右衛門の名前で出て来ますが、時代があいません。
初代浅右衛門は吉宗のころの人、「子連れ狼」は家綱〜綱吉のころの話です。

51 :名無しさん:2000/02/26(土) 00:24
必殺仕事人にも公儀首切り役人の山田朝右衛門っていましたよね。

52 :名無しさん:2000/02/26(土) 00:49
>役得として、処刑した人間の肝臓をもらってそこから油をとって万病に効く薬と称して売り出し大儲けしていたそうです。

確かに副業として、薬を売っていた記録があるが、
人間の肝臓を入れていたというのは、ただの噂。
当時の刑死人の死体は、つかうしても試し切り用にしか使われなかった。
ただ、朝右衛門は、その噂を販促のために否定しなかったとか・・・。

あと朝右衛門には門弟がたくさんいて、諸藩に派遣していたようだ。
死刑執行の代行業者だったというわけですな。


53 :>44:2000/02/26(土) 07:09
介錯した森田という人は殺人罪で捕まらなかったのですか?
殺人幇助?

54 :>53:2000/02/26(土) 08:02
44ではないけど。
森田も切腹しました。
森田の介錯をした人は、確か殺人幇助か自殺幇助かに
問われたと思います。
三島の首は一度に落とせず、肩口あたりにいくつも
刀傷があったと聞きました。
それから、三島の首がころがっている写真が新聞に掲載され、
問題になりました。

55 :名無しさん:2000/02/26(土) 14:07
三島を介錯した刀って今でもどこかで保存されているのでしょうか?
もし、博物館等で展示されているのでしたら、見てみたい気もします。


56 :名無しさん:2000/02/26(土) 15:27
>53@`54
三島を介錯した森田と森田を介錯した古賀は嘱託殺人罪。
森田は一刀の下にスパッと切られた。三島は首を落とすのに難儀して
そのせいか苦虫を噛み潰したような表情していた。三島の切腹は
さすがにお見事というか十文字切りだった。

57 :名無しさん:2000/02/26(土) 15:43
三島が腹を深く切りすぎて苦しんだってホントなの?
まあ苦しくないわけないけど。のたうちまわったのかい?

58 :名無しさん:2000/02/28(月) 15:12
「諸君!」にはどのように書いてあるんだろ・・・


59 :今亜寿:2000/02/29(火) 22:15
>51
主水シリーズ末期のころにね。
実際に剣道か居合い抜きの高段者である滝田栄が良い味だしていた。

60 :必殺:2000/02/29(火) 22:37
>59
あの「ななしのごんべえ」
とか名のってたおっさんのこと?
あれ?あれは千葉周作だったな。たしか。

61 :今亜寿:2000/03/01(水) 06:59
>60
ちがう、滝田栄が山田浅右エ門役で出ていたということ。

62 :名無しさん:2000/03/01(水) 12:13
>57
痛くて動いてしまったので森田が介錯に失敗したみたい。
んでもって、三太刀目で首を落としたのは森田ではなくて
他のメンバーらしい。(古賀?)

63 :名無しさん:2000/03/09(木) 20:44
今後切腹する予定の人いますか?
いたら教えてください。
切腹しそうな人でもいいです。

64 :>63:2000/03/09(木) 22:38
よしりん
つーかしてくれねーかな。

65 :名無しさん:2000/03/22(水) 09:01
三島は部屋に戻ると、総監の前に正座し制服を脱いで切腹の準備をはじめる。
「やめろ、やめろ」と言う総監の制止を聞かず、短刀を握ると「ヤッ」という
大声とともに腹を切り裂く。
腸が大きくはみ出すほどの大きな傷口が開いた。
すかさず、学生会長の森田必勝(当時25歳)が三島の首めがけて名刀「関孫六」
を振り下ろす。
しかし、あちこちに傷をつけるだけでうまく首を落とせない。
2度切りつけても結局果たせなかった。三島は痛さに耐えきれな
かったのか舌を噛む。3度目は会員が代わり、ようやく介錯に成功したという。
続いて森田が切腹し、同じくこの会員が首をはね、森田は死亡。
ふたりの首を残りの会員が床に並べた。
やがて総監を解放すると部屋には機動隊がなだれ込み、涙を流して立ちつくす
3人を逮捕した。
結局3人は委託殺人罪などで懲役4年の実刑判決を受けた。

66 :教えて:2000/03/24(金) 01:31
十文字切りというのは勢いもつけずに肋骨を切るんですか?
それとも、形式的に皮膚だけ切るんですか?

あと、切腹用の刀で介錯人と切り結んで逃げるなり暴れるなりしようと
した人っていないんでしょうか?みんな、素直に死んでったのかな?


67 :>63:2000/03/24(金) 07:01
テリー伊藤は去年、巨人が優勝しなかったら切腹するっていってたな。
まだ時効じゃないから迫ってみたら?

68 :名無しさん:2000/03/24(金) 20:28
>切腹が本当は切っていないというのはショックですわ。
>武市半平太の三文字切腹の話は感動したんだけどな

当時は儀式化していて、本当には切らないのが普通なのに
武市は見事ざっくりいって、周りがびびったという話を聞きましたけど



69 :名無しさん:2000/03/26(日) 03:54
やっぱ腹斬ると痛いんですかね。
一種の興奮になり少しの間は痛くないのでは?

70 :名無しさん:2000/03/29(水) 09:01
「三島の首」写真ってどこにあるんですか?

71 :名無しさん:2000/03/30(木) 21:17
一番最近切腹したのは誰だ?

72 :>71:2000/03/30(木) 22:30
NHKで、大根役者がやらなかったか?

73 :名無し様:2000/03/30(木) 22:33
>71
たしか3年前くらいに福島駅前で若い男性が切腹自殺しているが。
三島のファンだったそうだ。


74 :>71:2000/03/30(木) 23:47
去年あたり九州の会社社長がしなかったっけか?

75 :名無しさん:2000/03/31(金) 11:35
>73
介錯なしでも史ねるんだね。
>66
新撰組の切腹で、介錯人が仕損じたために切腹した隊士が
暴れまくったって話は聞いたことがある

76 :名無しさん:2000/03/31(金) 23:36
http://www.top.or.jp/%7Emayuko/fram/menu.html

77 :今亜寿:2000/04/01(土) 21:20
ところで、一番最初に切腹したのはだれだろう?
信憑性がある史料に載っているのは

78 :みかわもん:2000/04/02(日) 10:12
私の記憶が確かならば
出雲国風土記に女神が腹を切る場面があるようです。
(あいまいですが)
あとは長屋王じゃないですかね。

79 :特攻くずれ:2000/04/02(日) 19:14
42にも書いた
堺事件ですが、樋口教授(國學院大學)
の本読んでたら細かいこと書いてあったんで紹介しときます。

堺を警備中の土佐藩兵が、フランス水平十一名を殺害した事件。
土佐藩士は妙国寺にてフランス公使リオン・ロッシュ立会いの前で
次々に腹を切る。
6番隊長箕浦猪之吉が腹を切るが、介錯を要求せず。
箕浦隊長は腹を十文字に切り、内臓を取り出して自分の前の地面に整理して並べ、
血で辞世の句を書き、残った内臓をつかんでロッシュに投げつけた。
ロッシュは脳貧血をおこしひっくり返り、そのため切腹は中止。
その後「(フランスに払う)賠償金をまけないと、もっと切腹させる」
とおどして、賠償金を15万ルーブルまで値切る。

ちなみに生き残った同隊は、潔しとせず、翌日大阪の大江橋の上で
全員そろって切腹。

80 :名無しさん:2000/04/03(月) 04:34
>79
森鴎外の小説だと生き残った人は土佐に帰ってますが…

81 :名無しさん:2000/04/03(月) 09:14
>76
これは「切腹ショー」でせう。
偽ものですよね。

82 :名無しさん:2000/04/05(水) 23:04
>80
鴎外の小説で堺事件をモデルにしたのあるらしいですね。
小説の題名は何ですか?おもしろかったですか?

83 :ある:2000/04/06(木) 23:00
>78さん
あれ、(こんな記述のしかた、いやなんだけど)長屋が腹を切ったなんて
書いてあったっけか? 今手元に「続日本紀」が10巻までしかないので
何とも正確には書けないのだけれど「自尽」っていう表現だったと思うよ。

84 :80:2000/04/07(金) 06:31
>82
ズバリ「堺事件」ですけど…鴎外だけに内容は保証します。

85 :名無しさん:2000/04/08(土) 21:00
>84
じゃ、あのおっさん(樋口教授、ちなみに故人)が間違って書いちゃったんだね。
でも、話しとしては残った連中も潔く切腹のがいいですね。

86 :名無しさん:2000/04/12(水) 10:06
精神を病んで切腹自殺した人で、内臓を取り出して大腸とか丁寧に並べて死んでいた人がいるそうです。
多分、その作業をするのには7、8分かかるらしく、検死の人もうなったそうです。

87 :名無しさん:2000/04/15(土) 10:30
>86
ひょっとしたら日本人に遺伝子記憶の中には
切腹というものが組み込まれているのではないでしょうか。


88 :[ここ壊れてます](2):[ここ壊れてます]
[ここ壊れてます]
89 :名無しさん:2000/04/18(火) 18:19
このスレッド読んだやつは、
自殺する場合は切腹すること。


90 :名無しさん:2000/04/19(水) 13:14
フォーカスの創刊号に検死写真がのっているらしいです。

91 :名無しさん:2000/04/19(水) 18:13
>90
三島のね

92 :名無しさん:2000/04/30(日) 09:31
これ気にいっているのであげます

93 :名無しさん:2000/05/01(月) 10:44
では、もういっちょう!

94 :名無しさん:2000/05/01(月) 21:22
影腹

95 :名無しさん:2000/05/01(月) 21:46
いつから切腹はじめたんじゃ?
確か壇ノ浦の合戦で平家が滅亡した時はみんな入水自殺したはず。
鎌倉幕府滅亡の時は北条高時以下800人が全員切腹。
鎌倉時代にはやり始めたんか?

96 :名無しさん:2000/05/02(火) 11:59
藤原保輔が疑いかけられて切腹したっていうのは噂ですか?
事実なら鎌倉よりは前になりますが

97 :名無しさん:2000/05/07(日) 10:01
<切腹>
士以上の武士に科せられた死刑。斬首より名誉とされる。
元来は自尽刑の一つであったが、室町時代には自尽の方法
として切腹が行われるようになり、江戸時代に形式が整った。
庭中に畳二枚を敷いて罪人をすわらせ、副介錯人の勧めで
罪人が三方に載せた木刀に手を出す時背後の正介錯人が、
首をはねる。
この刑は明治三年(西暦1870年)新律綱領に士族の自裁として
継承された。

98 :名無しさん:2000/05/15(月) 18:37
勉強になるなあー。

99 :名無しさん:2000/05/15(月) 18:45
>65
ほかのホームページに逮捕されたのは2人とかかれていましたが、どちらが本当なのですか?

100 :名無しさん:2000/05/15(月) 21:19
俺で100か?

101 :名無しさん:2000/05/16(火) 04:41
100番とれなかった責任を問われて切腹を命じられました。
介錯して下され。

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