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古事記、日本書紀の編纂理由って何ですか?

1 :名無しさん:2000/03/05(日) 07:18
皇室のスキャンダルや暗殺話ばかりなんですが。

2 :>1:2000/03/05(日) 09:28
>皇室のスキャンダルや暗殺話ばかりなんですが。
史記もそうだな。


3 :名無しさん:2000/03/06(月) 15:17
中国と国交を結び一応文明国の体裁をとろうとした時、
中国の漢書や三国志のような国の歴史、由来をつづった
文書がほしくなったのだろうよ。

4 :名無しさん:2000/03/09(木) 16:05
歴史を改ざんしたかったんじゃない?

5 :>1:2000/03/10(金) 14:52
天武天皇の自己正当化目的でしょう

6 :>5:2000/03/10(金) 17:08
歴史書なんてみんなそういうモンですよ、民間で編纂しない限り。

7 :>6:2000/03/10(金) 17:32
現代では民間での研究で電波ものがある。
個人の悦楽が歴史を紡ぐ。

8 :しかし:2000/03/10(金) 18:43
万葉集の貧窮問答歌とか防人の歌なんかは、一種の無産文学あるいは
反戦(的)文学ともいえなくもないと思うのですが、この時代に
世界でこんな作品を国家の事業として編纂する詩集に取り上げた
国はあるでしょうか。
作品自体はもっと古いと思うけど、そもそも貧窮問答歌のような
社会の底辺の人々の生活を写実的に描いた文学作品が、他の民族に
あったのでしょうか。
私は、左翼的センチメンタリズムは日本人の伝統文化ではないか
という気がします。

それから、古事記にはやたら「ホト」がでてきます。日本民族の
「ホト」へのこだわりがよくわかります。


9 :名無しさん:2000/03/10(金) 19:07
>8さん 「ホト」ってあそこのことですか?
女性器?

10 :>9:2000/03/10(金) 19:19
そうです。「火処」だったかな。
「ホト焼きて死ねり」とかあったよね。火の神さまかなにか
を産んだとき。


11 :>8:2000/03/11(土) 00:04
貧窮問答歌は貴族が貧乏人の生活を想像して歌ったイヤミな歌。
左翼インテリのいやらしさは昔と変わらず。

12 :名無しさん:2000/03/11(土) 15:33
そうか、日本では左翼右翼が対立してるんじゃなくて、外来思想至上主義と土着感覚至上主義が昔から対立しているのね。

13 :>12:2000/03/11(土) 15:48
実に確信をついています。

14 :>11:2000/03/11(土) 18:15
おお、知らなかった。目からうろこ状態です(笑)

15 :>12:2000/03/11(土) 21:46
そうそう。聖徳太子と言うと「日出る天子」ということから、国粋主義的に捉えがちだが、実際は蘇我氏とともに仏教をとり入れ、国風文化を保守せんとした物部氏を滅ぼしたのだ。

16 :古事記・日本書記:2000/03/13(月) 17:05
関西人は昔から「シモネタがかったダジャレ」が好きだと言う証拠。
元ネタ(笑)となって散逸した「天皇紀」なんぞを、またぞろ偽作したオッサンが
東北におるぞ。全くこりん奴だな。


17 :>16:2000/03/13(月) 17:32
そりゃサヨク推薦の外ツガルなんとかという偽史ではないの。

18 :1:2000/03/29(水) 07:01
レス遅くなって申し訳ないです。

皇室正当化が目的ならば
何故記紀後半に皇室内の暗殺や謀略の記載があるのかわかりません。

実際にそういうことがあったが
編纂時期からそう古くないために隠蔽できなかったと言うことでしょうか?

いろいろな意見を聞きたいです。

19 :名無しさん:2000/03/29(水) 09:47
万世一系→革命防御。
これがまず第一でしょ。もちろん俺は万世一系なんて信じてないけ
どね。
個人的には市辺天皇や飯豊皇女なんかがなんで天皇に入れられな
かったのか知りたいなぁ。


20 :11、14は:2000/03/30(木) 13:28
日本史ドキュンだな

21 :>18:2000/03/30(木) 14:31
中国の史記に習ったのだろうね。
わかっている事は正しく書こうとした。
判らない所は万世一系を崩さないように
配慮しながら伝承を取り入れ創作した。
しかし、作者達は明らかなでっち上げを
書こうとはしなかった。
応神天皇の出生の秘密でさえ後世に疑問が
残るようにしたし、継体天皇の怪しげな経歴
も怪しめるように書きしるした。

22 :>21:2000/03/30(木) 15:42
中国は万世一系ではないでしょう。
創作といいますが証拠を挙げていっていただけますか。

23 :>22:2000/04/05(水) 16:01
応神天皇は仲哀天皇が死んで一年以上経ってから生まれた。
胎中天皇と呼ばれる。
応神天皇の系統は雄略がライバルとなりそうな皇族を全て殺したため
雄略天皇で絶える。
実存する雄略の代で滅んだ事にせず、武烈天皇を創作して武烈天皇
のせいで絶えた事にした。
継体天皇は応神天皇の系統が絶えた後、数十年に渡って争った後
即位するが、大和には入れず河内地方をウロウロしていた。

24 :>23:2000/04/05(水) 20:17
文献上、考古学上の証拠を挙げて下さい。

25 :1>23:2000/04/05(水) 20:36
清寧・顕宗・仁賢についてはどう考えますか?

継体に関して、隅田八幡宮人物画像鏡の記述については
どう思いますか?



26 :>24:2000/04/06(木) 16:57
古事記に「仲哀天皇は神功皇后が新羅撃つべし
という神の御宣託に反対したため琴を弾いている時
にいつのまにか死んでいた」と書いてある。
9月位に死んだ事になっていたかな。
神功皇后は新羅に自らも出兵し新羅を征服して
かえって来て九州で翌年の12月に応神天皇を
生んだと書かれている。出産を遅らせる為に腹に
石かなんか縛り付けて戦った事になっている。
武烈天皇は後世、日本と百済の連合軍を白村江で
打ち破ったにっくき新羅の武烈王の名を借りて悪役
にしたてたのだ。
継体天皇が大和には入れず河内地方をウロウロしていた
事も記紀に書いてある。



27 :>26:2000/04/06(木) 17:26
>武烈天皇は後世、日本と百済の連合軍を白村江で
>打ち破ったにっくき新羅の武烈王の名を借りて悪役
>にしたてたのだ。

どこにそんなことが書いているんですか。考古学上の証拠がありますか。
それともあなたの妄想ですか。

>継体天皇が大和には入れず河内地方をウロウロしていた
>事も記紀に書いてある。

「入れず」などとは一言も書いていません。大和外に都をおいた天皇はいくらでもいます。
それとも他に証拠があるんでしょうか。

28 :>27:2000/04/06(木) 17:41
武烈天皇が実在しなかったことは誰もが認める事だろう。
記紀が編纂された時期を考えれば新羅の武烈王の事を
思い浮かべるのは当然だ。
この事を提唱した人がいるかどうか知らないが、もし誰も
言っていないなら私は新しい学説を打ち立てた事になる

29 :>28:2000/04/06(木) 18:06
>武烈天皇が実在しなかったことは誰もが認める事だろう。

全く回答になっていませんね。
いくら強弁しても証拠がないと誰も信用しませんよ。
もう一度聞きますがそう判断する文献上、考古学上の証拠があるんですか。
それともあなたの想像ですか。

30 :> 29:2000/04/06(木) 21:52
> もう一度聞きますがそう判断する文献上、考古学上の証拠があるんですか。
> それともあなたの想像ですか。

そういう史料第一主義が日本の歴史の解明を遅くするんだよね。
ってこれじゃ井沢元彦のパクリだよ。とほほ。

それはさておき、もし武烈天皇が存在したとしても
存在しなかったとしても、日本書紀の編集者は
そういう極悪非道の天皇に代わって大和を治めた
「継体」天皇の子孫である天武・持統系統の天皇達の
正当性を訴えたかったんじゃないの??




31 :ある:2000/04/06(木) 22:35
おじゃまします。

>文献上、考古学上の証拠...云々

記紀などの史料の通りに歴史を解釈すれば現在は皇紀26**年
ということになるでしょうな。日本の文献の信用性はそんなものですよ。
また、考古学上の証拠と仰るのなら天皇陵とされる墳墓を発掘すれば
すむこと。宮内庁の所管だから出来ないだけなんだけれども。
 とにかく、30さんの仰るとおり、万世一系をもって現王朝の
正当性を求めようとする記紀の記述は、そのねらいによる潤色から
史料価値の低いことこの上ないことです。とにもかくにも、
史料の完全な整理が出来ない以上、今ある材料と人間の想像力から
歴史を推し量る以外に手段はないのですから、史料史料と騒いでも
始まりませんよ。

32 :ある:2000/04/06(木) 22:40
でも、武烈天皇と新羅の武烈王を結びつけるのはどうなんだろう?
天智朝までの百済擁護政策は、天武朝以降てのひらをかえすように
新羅修交政策へと転換するわけだし、百済からの亡命者こそ受け入れて
来たが、任那滅亡時に見られるような「奪還」もしくは「回復」の
ための軍事行動なんて露程も取った形跡がないからね。

33 :ある:2000/04/06(木) 22:43
「続日本紀」などには「百済王**を**守に任命する。」などと言う記載
はあるが、あくまでも地方官としての扱いだし、完全に臣下と同列でしょう。
しかし、新羅の使者に対しては厚遇この上ないわけで、朝賀に参列したりも
している。ちょっと考えにくいな〜。

34 :【^▽^】継体?【^▽^】:2000/04/07(金) 00:48
>継体に関して

因みに後継者を指す漢字に、「嗣」と「継」という2つの漢字があるのですが、
中国式の諡号法ではこの2つは厳密に使い分けられており、
血縁関係を有する者が後継した場合は「嗣」を用い ★例=「嗣聖」など
血縁関係を有さない者が後継した場合は「継」を用いるそうです

この諡号法が日本においても厳格に守られていたと仮定するなら、
継体天皇は…

恐ろしいことです…【ぶるぶるっ!^▽^】

35 :【^▽^】>とほほの助さん【^▽^】:2000/04/07(金) 00:54
ここに、とほほの助さんがいるのなら聞いてほしい。

ボクは最近、天武天皇が天智天皇の血縁ではない可能性がある、
というあなたの説に大変惹かれている。
天武はなかり怪しい天皇だな、ありゃ…
あいつは、なかり大規模に日本の歴史を改竄している…!



36 :名無しさん:2000/04/07(金) 01:46
初期の天皇/大王おおきみ は厳密にいえば地方の豪族を
ピックアップしているだけです。
オリコン歴代一位はみんな一族!として暗記するようなものです。
(とはいえ、紙が貴重で、木簡なんかに書くのがウザく、かつ書く文字
が海の向こうの文字ばっかりのころはゴロ合わせのような暗記術も、
特に仏教の高僧がやっていたりするから別にヘンなことではないんだけど)

明治以後に血縁の正統性をことさら強調するのは西欧の概念をモロ受け
しただけであって
ホントは天皇制に会うのものじゃないんだけどね(笑)

37 :名無しさん:2000/04/07(金) 01:59
>この諡号法が日本においても厳格に守られていたと仮定するなら、
>継体天皇は…

天皇家の血が断絶しているって言いたいのですね。

>恐ろしいことです…【ぶるぶるっ!^▽^】

何をふるえながら笑っておられるのやら?
血の断絶がうれしいの?


38 :ある:2000/04/07(金) 02:32
>35さん

前に書き込んだ外交云々は、その説の傍証としても使われることがあります。
しかし、天智帝の書き込みをしていると、どうしても木梨軽皇子が目の前を
ちらついてしまって...。

39 :名無しさん:2000/04/07(金) 02:37
繋がらなくて困るのは電話線ぐらいですよ(笑)

おそれおおくも玉體(ぎょくたい>陛下ね)を
庶子のごときつるみと一緒にしてしまうか!

と、怒られますよ(笑)

40 :【^▽^】>36【^▽^】:2000/04/07(金) 08:46
どうも真相はそんなところらしいですな…。
初期大和政権の大王・オオキミたちは輪番制だったとゆー説が
堂々と唱えられ始めているらしいですね…
つまり、そのときどきで一番の実力者を各地の首長たち全員で推戴する形式を採っていた…
古代天皇家の人たちが九州や北陸など、各地から招聘されているのも
この説なら納得できますね

思うに、壬申の乱というクーデターで天下を簒奪した天武帝は、
そのような当時の政治状況から、自己の血統を
「万世一系の日本の王家、相対性の存在しない絶対的王家」
として粉飾する必要性に迫られていたのではないでしょうか?
そのため、過去数百年間にわたる
「自分とは血縁関係を持たない日本の統治者の全家系」を
自分の家系に収斂させてしまったのではないでしょうか?

ボクは、記紀編纂の最大の動機は、
「天武天皇を日本唯一の王家の後継者に仕立てること」だったと思うです。
ですから記紀では、「日本の統治者の血統を一つに収斂する」という部分が
異常に重要視されたのだと思います。
だからこそ、初期大和王権のルーツが応神同様九州にある、などという
フィクションを挿入する必要があったのだと思います…

41 :>32:2000/04/07(金) 11:12
壬申の乱は唐と新羅が天智天皇が自分達に刃向かった事
に対する復習のために行われた。天武朝は唐と新羅の
傀儡政権だという説がある。
記紀の編纂にあたった人々がどのような心理を持って
書いたか今上天皇を悪く書く訳にはいかず
過去の架空の天皇を悪役に仕立てた事は理解出来る
だろう。

42 :41:2000/04/07(金) 11:34
復習は復讐の間違い。

43 :ある:2000/04/07(金) 11:41
それは、記紀だけではなく、それ以降の「六国史」に共通する
ところですね。曰く「編纂を命じた者(家系)に不利な物はなるべく
載せない」日本の記紀が不正確である論拠に日本が万世一系の統一
王朝であるのを理由とする人も多いですし。なにより「続日本紀」に
記載されている長屋王の記述は気に入らない。<<おぃおぃ。

ところで、天武帝に関しては半島・大陸勢力から擁立されたって説は
いろいろ聞きますね。考えてみれば天智系の后(うのの讃良皇女:後の
持統天皇)が入っているところが、どうも継体帝とダブっていてなんとも。

44 :ある:2000/04/07(金) 11:42
あ、上は41さんに対してです。

45 :>31、36:2000/04/07(金) 12:33
神武紀元については考古学上の証拠があって否定されているんですよ。
武烈帝が架空であることについてそのような考古学上の証拠があるんですか。
それとも単なる想像ですか。

46 :ある:2000/04/07(金) 12:40
>45さん

「お、31って誰だよ」とおもったら僕だった(笑)
ということで、神武紀元については考古学上の証拠以上に、100年以上
生きる人間がそうそう存在するはずが無いという「常識的知識」によって
否定できるところではないかな。それから、武烈帝が架空である証拠は
ない。が、実在する証拠も「記紀の記述」以外には存在しないのも確かで
はないだろうか。もし、実在するのであれば武烈天皇陵を調べさせた
頂ければハッキリするのだが。

47 :>46:2000/04/07(金) 13:04
天皇陵の指定はかなり間違っており、武烈陵は、そのもっともたるものです。
ですから武烈陵を調査したら分かるというのは間違いです。

48 :>45:2000/04/07(金) 13:33
武烈は即位してから一年に一度づつ残虐行為をしている
ように記述されている。サディストが発作を起こしている
時は集中、連続してやるもんだ。
政治的行動業績に記載が全くない、などどう考えても不自然
で創作された天皇という人が多い。

49 :ある:2000/04/07(金) 13:58
>47さん

ふぅむ、そうなんですけどね。全部の墓あばけって訳にもいかんでしょう?

50 :>48:2000/04/07(金) 15:10
>サディストが発作を起こしている時は集中、連続してやるもんだ。

そんなことはありません。いい加減なことを言わないように。
思いつきで武烈帝を抹殺するのはやめましょう。

51 :【^▽^】こうなってくると…【^▽^】:2000/04/07(金) 15:33
日本の古代史は嘘で塗り固められたことになるね…
因みに元彦の「逆説の日本史第4巻」には面白い記述がある。

「後醍醐天皇の側近・北畠某(顕房の父)が記した“神皇正統記”には、
 “日本の皇室と三韓は同種である”ということを記した書物が
 桓武天皇の治世まで残っていたと記述されている」

元彦は、応神が朝鮮からきた可能性は高いと言ってる。
南九州の内官家を、日本の天皇家の故郷だと言っている…

この説に対し、みんなはどう思う?
ボクは最近、記紀に対する幻滅と併行して
「あり得るのかな」、と思いだしてますが…
桓武天皇の

52 :ある:2000/04/07(金) 16:08
>〜嘘で塗り固められたことに〜

古事記、日本書紀ともお話としては面白いですよ。でも、続日本紀以降の
史料に比べるといまいち信憑性がね〜。
しかし、続日本紀の長屋王の記述は...ぶつぶつ...(以下省略)


53 :>51:2000/04/07(金) 16:09
>後醍醐天皇の側近・北畠某(顕房の父)が記した“神皇正統記”
>には、“日本の皇室と三韓は同種である”ということを記した
>書物が桓武天皇の治世まで残っていたと記述されている」

桓武天皇の代に焼き捨てたと書いてあったというのが正しい。

54 :【^▽^】どうなんだい?【^▽^】:2000/04/07(金) 17:22
朝鮮から来たのかい?
それともただの九州の人なのかい?
それとも崇神の血を引いてるのかい?

そこらへんを書いてくれなくちゃ…

55 :>51:2000/04/07(金) 17:27
>日本の古代史は嘘で塗り固められたことになるね…
当時の編者にしてみれば精いっぱい正確に書こうとした
のではないかと思うよ。
妖しい所を残しているもの。
嘘で固めるなら後世の人が読んでも変に感じないように
徹底的に創作してしまうよ。


56 :名無しさん:2000/04/07(金) 20:02
ここの電波の妄想の方がよっぽど嘘で塗り固められているな。

57 :>54:2000/04/07(金) 21:24
> 朝鮮から来たのかい?
 それともただの九州の人なのかい?
 それとも崇神の血を引いてるのかい?

天皇家が長々と続いている間に色々な血が混ざっちゃったでしょ。
矛盾しているようだけど、上の3つはどれも正しいんじゃないの。

少なくとも天皇家に朝鮮の血が混じっていることは確かでしょ。
「桓武天皇の母親」である「高野新笠」は百済人の血を
ひいているんだから。

ま、続日本紀の記述を信じられればね。


58 :ある:2000/04/07(金) 23:00
>57さん
うん、桓武帝を今上としてかかれていたはずだからね。
続日本紀の記述も光仁帝と桓武帝の記述はわからないね。

59 :>54:2000/04/08(土) 01:00
日本人で先祖に渡来人がいない人間は皆無、ってこと解る?

60 :ラモス瑠偉:2000/04/08(土) 23:50
俺も?

61 :gori:2000/04/09(日) 01:23
>60
君は立派な渡来人

62 :>61:2000/04/10(月) 03:00
わははは
渡来人というには随分最近で随分遠い
ところからきているね〜笑

63 :日本人はみんなトライ人:2000/04/12(水) 11:19
まじめな話、東日本人は現在のフイリピン辺りにあった
「スンダランド」から、ほとんど徒歩でやって来た南方系モンゴロイドのようです。
その頃は北九州と朝鮮南部は地続きだったようですから。
一方西日本人はかなりおくれて、多分BC300年頃から、船で渡って来たと考えられています。
出自に関してはシベリアあたりが有力ですが、持ちこんだ文化は南方的です。
寒さに追われた北方モンゴロイドが一旦南下、さらに戦乱に追われて日本に吹きだまったのでは
ないでしょうか。

64 :まめちしき:2000/04/14(金) 11:54
貴方がどこ由来の日本人なのかをざっと知る方法が
あるらしいっす。(あくまでも”ざっと”です)耳垢でね。
なんでも飴耳、粉耳で北方、南方かがわかるんだそうな。
記憶違いかもしれないけど北方には飴耳が多いとか。

65 :名無しさん:2000/04/14(金) 12:10
弥生以前だとうんこの化石で食生活から疾病、社会の規模まで
把握できるらしい。

66 :>65:2000/04/14(金) 14:56
二千年や三千年で化石が出来る訳ないでしょ。
弥生時代温暖期で雨が多かったから人骨さえ
多くは残っていない。
うんこが残っている事はごく希。

67 :>66:2000/04/14(金) 16:48
ありますよ、骨
山口県土井ヶ浜遺跡に


68 :ある@実は文転失敗の機械科学生:2000/04/14(金) 21:34
>64さん
ぼくは、こう言うのを聞いたことがあります。曰く

腕を見て、間接の内側前後にうっすらと線が見えたら北方系
線がでない人は南方系。少し腕を曲げてみると見やすいかも。

69 :>66:2000/04/15(土) 06:53
あります、「クソ玉」というれっきとした学術用語にも
なっています。名前のとおり小さいものですが、
しかしこんなまんまなネーミングだが研究者は女性の方(笑、
もう亡くなられてしまったが)

70 :名無しさん:2000/04/15(土) 07:05
いいか!古事記に書かれていることはそのまま信じろ!


71 :名無しさん:2000/04/15(土) 07:25
いいか!聖書に書かれていることはそのまま信じろ!

アメリカではこんな教育運動があるようですが、まともだと思いますか?

72 :>71:2000/04/15(土) 07:35
だ〜からアメリカはドキュンなんだよなぁ(藁)

日本史とはすなわちビックバン以後の宇宙史にほかならない!
だからアメリカと比較すること自体が誤りである

73 :名無しさん:2000/04/30(日) 19:10
もののべ氏が、真の日本人で、天皇家(大和家)は朝鮮人。

74 :73へ:2000/05/01(月) 03:16
天皇家朝鮮人説ってさー、
イエス・キリスト宇宙人説と同じくらいアホだぞ。
噂の根源はどこだ?
日本人の朝鮮人差別意識を利用しようとする
くされ左翼か?
おまえ、その話どこで聞いたよ?

75 :名無しさん:2000/05/01(月) 08:02
朝鮮なんて国名も韓民族なんて民族も当時存在しなかっただろ?

76 :yuuka:2000/05/27(土) 23:20
蘇我氏は、じつは天皇だった。
それをかくすために、日本書紀と古事記は編纂された。
文武てんのうは、天皇になれたのも、
蘇我氏が天皇だったから。
天皇家の祖先は、百済王族の昆支。
雄略天皇きに、
昆支が日本にきたけれど、帰国記事がないの。
昆支は、日本書紀にコニキシとかかれているけれど、
コニキシは、百済では国王の意味なんだって。
国王でもない、皇子の昆支が、コニキシとよばれたのは、
昆支が日本の天皇だったにほかならない。
昆支の陵は、応神天皇陵。

77 :吹き溜まり刑事北方系:2000/05/29(月) 02:30
>68
それってのは、肘の裏側から手の先に向かって
5cmくらいのところに出る線の事ですか。
俺、出ます。前からなんでこんなところに線が入るのか不思議だった。
耳も粉耳だしなあ。

78 :ある@機械化学生(?):2000/05/29(月) 03:19
 そう、ズバリそれのことです。ま、あまり確証はないのですけど、高校の
恩師がそう言っておられました。現在その恩師は30歳以上若い人間に混じって
沖縄のとある大学で、大学生をしています。元気にやってるのかな?

79 :名無しさん@1周年:2000/06/05(月) 11:57
天智系にたいして天武系の正当性のため、という方面からは、ないのでしょうか?

80 :名無しさん@1周年:2000/06/05(月) 13:18
●万世一系の強調→革命否定
●天皇の現人神化→天皇に政治を任された者の正当化
●神代記→神道の統一化
等々。

81 :ぽぽろ:2000/06/05(月) 15:09
>68、77、78
現代の人間にこのような痕跡が残ってるというのは、非常に面白いですね。
他にもこのような痕跡があれば、どなたか教えてください。
ちなみに僕も、腕を曲げたときに、3センチ上に、横線が入っています。

82 :おとみ:2000/06/05(月) 15:53
>76
ずばり 百済王(くだらのこにきし)という氏族が平安初期にも活躍してますが。
陸奥国の産金の時の陸奥守は百済王敬福。
その娘だったかが桓武天皇とかに入内しています。
天皇に百済の血が混ざっていないとは言いませんが、「天皇=百済の王族」ならわざわざ百済王という別の氏を立てたりするのかが疑問です。

83 :>76:2000/06/05(月) 18:17
>蘇我氏は、じつは天皇だった。
>それをかくすために、日本書紀と古事記は編纂された。

蘇我氏が天皇だったならばなぜ隠す必要があったのでしょうか?
「古事記」→元明天皇の命で編纂。完成時(712年)も同天皇。
「日本書紀」→元明天皇の命で編纂。完成時(720年)は元正天皇。
(ちなみに天武天皇云々は「帝紀」や「旧辞」)
元明、元正といえばバリバリの蘇我氏系です。天皇であったことを隠す
メリットや必要性は何でしょうか?

>文武てんのうは、天皇になれたのも、
>蘇我氏が天皇だったから。

これは蘇我氏だから天皇になれたのではなく「持統の執念」の継承と考えた方が素直です。
表向きは確かに天武-持統の血を引くものとされてますが、
この中に蘇我氏への誇りが多少あったかもしれません。
しかしそれ以上に、我が子草壁を天皇にするため自ら皇位を継承したものの、
草壁は皇位を継承せずに死んだ。
ゆえに草壁の皇位継承に向けられてた執念が文武てに注がれた。
やっと文武が成長し持統は退位するものの、文武も長生きしなかった。
その後の元明、元正は文武の子である聖武を皇位に就けるために皇位を継承した。
女帝は全て草壁ラインに皇位継承させるための中継ぎ(なれど強力)天皇だったのです。
この流れの中に蘇我氏が天皇だったからという事実は確認できません。
もちろんその後の藤原氏のような外戚として蘇我氏の血を大王家に入れていったことは否定してませんが。

>天皇家の祖先は、百済王族の昆支。

蘇我氏の祖先が百済王族の昆支ではないか? というなら分かりますが。
ちなみに昆支とは蓋鹵王の弟のことですよね。

>雄略天皇きに、
>昆支が日本にきたけれど、帰国記事がないの。

これは確かにそうですね。

>昆支は、日本書紀にコニキシとかかれているけれど、
>コニキシは、百済では国王の意味なんだって。
>国王でもない、皇子の昆支が、コニキシとよばれたのは、
>昆支が日本の天皇だったにほかならない。

は?この論理が通れば秦氏は絶対に始皇帝の子孫だし、
司馬達等や止利仏師の祖先は司馬仲達って理論も成り立ちますがいかが?
で、どういう方法で天皇家、いや大王家を乗っ取ったのですか?
相手はあの雄略ですよ。有力豪族はもちろん、兄弟や親戚、
ひいては半島まで遠征したと思われる雄略ですよ。キング オブ 大王の雄略ですよ。

さて、それ以上に5世紀半ば以降、肝心の百済がどのような情勢で
どのような運命に巻き込まれていったのか御存知でしたら、
このような不思議なヨタ話なぞできないと思いますが。
百済は日本征服どころのヒマなんてありませんしね。大変なことばっかり(笑)。
本当に半島情勢、大陸情勢、そして「記紀」をちゃんを検証されたのか
不思議でしょうがありません。

>昆支の陵は、応神天皇陵。

これも取ってつけたようなお話ですね。
しかし河内と昆支と蘇我を結んだ上での想像の部分は評価できます。
葛城氏の勢力が衰え(雄略との闘争により)、入れ替わるように百済王族系が
葛城氏の土地をいただいた、という発想なら少しは良かったのですが…。


84 :>82:2000/06/05(月) 18:24
平安初期における百済の観念というか、
百済というくくりはいったい何でしょうか?
皮肉とかじゃなく、百済滅亡後120年以上経ってる時代における、
百済というくくりが分からないのです。

85 :ははは:2000/06/06(火) 00:57
なんか電波系のカキコがボロカス状態じゃん?見物人的には反論見たいぞ!ガ
ンバレ、トンデモ君!!!!!

86 :おとみ:2000/06/06(火) 12:05
>平安初期における百済の観念というか、
百済の亡命人(百済の王族)を受け入れたがために、日本と新羅とは基本的に仲悪いですね。

律令時代当初は官位に正○位、従○位があったように、外国人枠として外正○位、外従○位が存在しました。
帰化したばかりの外国人や、帰順したばかりの蝦夷・隼人などに贈られる官位です。何代か経たり、功績があったりすると、いつの間にか「外」が外れて正○位、従○位という風に日本人扱いされます。
律令時代当初は、多くの帰化人豪族がいましたが、帰化人を母に持つ桓武天皇が即位してからは、帰化人系との区別は見受けられなくなり、一豪族、一貴族の扱いになっています。

百済王という氏は次第に単なる「王」とか「王野」と呼ばれ、藤原氏に圧されて存在感が無くなりましたが、娘はまめに入内させているみたいです。
たしか、源氏物語に出てくる「王命婦」は百済王系の娘ではないかとも言われています。

87 :名無しさん@1周年:2000/06/07(水) 14:31
「古事記」と「日本書紀」の謎ってさ、やっぱ「古事記」編集後10年も経たな
い内に「日本書紀」って部分にもあると思う。未だによく分からない、個人と
しては。


88 :yuuka:2000/06/07(水) 15:03
kuwasikuha@`
syoutokutaisihainakatta
isiwatarisinnitirou
yonndemiro.


89 :yuuka:2000/06/07(水) 15:04
kuwasikuha@`
isiwatari
sinitirou
syoutokutaisihainakatta
tonndemiro
ba-ka

90 :>88、89:2000/06/07(水) 15:07
電波逝ってよし!


91 :yuuka:2000/06/08(木) 23:24
昆支が、帰国したという記事がかいていないという理由を説明してみろ。
昆支=応神天皇である。
稲荷山古墳の鉄剣にかかれてあるワカタケル大王。
私は、欽明天皇だとおもいます。
だって、シキ宮は、欽明天皇の宮名だから。

92 :yuuka:2000/06/08(木) 23:25
いかないよ

93 :yuuka:2000/06/08(木) 23:26
すしゅん天皇が暗殺された記事はわずかだけで、
大化の改新の記事がなんであんなにおおげさにかいてあるのかがおかしい。

94 :83>91:2000/06/09(金) 01:06
>昆支が、帰国したという記事がかいていないという理由を説明してみろ。

まず、丁寧な口調使う人に対してこんな言い方してはいけませんよ。
カルシウム不足ですか?牛乳を飲んだりニボシを食べることをお薦めします。

さて、帰国した記事がない外来の人間は必ず王になるのですか?
帰化した可能性を考えることはできないのですか?
色々検証する価値はある、と思いますがいきなり決めつける言い方はマズいと思います。
ちなみに昆支が連れてきた女性の話は御存知ですか?

また、私からあなたに質問した「当時百済がどういう状態だったか御存知か?」
「どのように大王位を簒奪したか?」についてはお答えできないのでしょうか?

>昆支=応神天皇である。

時代が違いませんか?。本当に「日本書紀」をお読みになったのでしょうか?
先日は御自分で「雄略紀に登場した昆支云々」とおっしゃってたのでは?
さらに「昆支=応神天皇」となると、あなたなりの歴代天皇の即位順番を証明されないといけませんよね?
でないと正史の立証としては様々な矛盾が生まれたままになってしまいますから。
仮説を立てる場合は全ての謎が解明できる論証が必要とされますが、
あなたの説では益々古代の大王家が迷走してるように思えますが、いかがでしょうか?

>稲荷山古墳の鉄剣にかかれてあるワカタケル大王。
>私は、欽明天皇だとおもいます。

雄略天皇の和風諡号を御存知ですか?欽明天皇の和風諡号を御存知ですか?
また言ってることがよくわかりません。もっと主張したいことを明示してください。
もし「辛亥」から導き出したのならば少しは評価できますがね。

>だって、シキ宮は、欽明天皇の宮名だから。

磯城嶋の金刺宮、斯貴島宮、斯帰斯麻宮等が欽明の宮を指しますことは分かりますが。

>すしゅん天皇が暗殺された記事はわずかだけで、
>大化の改新の記事がなんであんなにおおげさにかいてあるのかがおかしい。

これはは大変いい着眼点だ、と思いますが、5W1Hが明示されてないので何を主張されたいのかわかりません。
察するところ蘇我氏云々のことでしょうか?

まず崇峻暗殺を書きづらいのは当然でしょう。
「日本書紀」編纂、完成当時の天皇だった元明も元正も蘇我馬子の直系ですからね。
逆に大化の改新の方は祖父・蘇我倉山田石川麻呂のちょっとした活躍が描かれるから、
それはそれで大きい扱いの理由のひとつを為していて当然でしょう。
でもそれ以上に、「日本書紀」が完成したころの政治的実力者が誰かを考えれば
「大化の改新」の記事がおおげさ過ぎることは納得できるのでは?

95 :go go go:2000/06/09(金) 11:38
長い・・・

96 :yuuka:2000/06/09(金) 23:00
1@`崇神天皇
2、垂仁天皇
3、イニシキイリヒコ天皇
4、若木入日子天皇
5、ホムダノマワカ天皇
6、興
7、昆支(応神天皇)
8、継体天皇
9、欽明天皇
10、敏達天皇
11、馬子
12、エミシ
13、イルカ
14、孝徳天皇
15、斎明天皇
これは、私の説ではなくて、石渡信一郎さんのせつです。


97 :>96:2000/06/09(金) 23:06
全ての根拠を簡潔でいいから述べてくれないか?
それなりの理由があるはずだろうからね。賛成、反対はその後で。

98 :yuuka:2000/06/09(金) 23:10
>97
石渡さんの「聖徳太子はいなかった」をよんでみようね。

99 ::2000/06/09(金) 23:14
YUUKAさんの聖徳太子はいなかったをよんでみたら?

100 :765:2000/06/09(金) 23:15


101 :83です:2000/06/09(金) 23:47
> yuukaさん

細切れに論旨を展開するのでなく、まとめてお答え願えませんか?
私はあなたの書き込みに対し納得、疑問、反対を文章ごとにさせてもらいました。
私のようにダラダラ書けとはいいませんが、それなりにまとめて書いていただかないと余計混乱しますよ。
すでに噛みついている人もいるようですし。

またあなたの書き込みはどの部分に対するレスなのか、
どういう部分に対する返答なのかがいつも欠落しています。
答えだけが書かれていて「なぜか」「どうしてか」「どういう展開から推察できるか」といった
理論的な根拠の書き込みを見たことありません。
96にあった石渡信一郎説ならそれで結構ですが、説の答えでなく説に対する理論的な解釈を伺いたいのです。

例えば、昆支の帰国が書かれてない=昆支が大王になったから(=応神天皇)
ということしかあなたは掲げてませんよね。
しかし、原点に返って考えると昆支の帰国が書かれてないという事実に対してとりあえず5つは可能性を掲げられませんか?
1.大王位を簒奪した
2.帰化した
3.人質だったのが帰化した
4.何かの事情があって女性と逃げてきて帰化した
5.死んだ
あなたが石渡信一郎説が正しいと思うなら、それなりに1以外の仮説を理論的に否定しなければいけませんよね?
その作業がされなければ単に受け売りで終わりです。
途中のどういう経緯とかどういう過程であるかを実証的、試論的に説明してほしいんですよ。
簡単な話ですよね?

また私が掲げた「大王家の簒奪」や「百済の状況」は結構あなたの支持する説にとっては致命的だと思います。
大王の順番を書く前にまずその辺の反論なり事実を御存知かについての返答をいただきたいです。

本に書いてあったから、それをなんとなく感動したではここの板の人間は誰も納得しません。
もう一度時間をかけて考えをまとめてから書き込んでみたらいかがでしょうか?


102 :765:2000/06/11(日) 13:54
彼女はきっと文章作成が下手なのね。

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