5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

名前で身分は分るものですか?

1 :名無しさん:2000/04/19(水) 07:53
母方は武士ですが、父方がイマイチ身分的な事がわかりません。

戸籍を見ると、江戸末期に四五右衛門という人がいます。
なんとなく武士の名前のような気もします。
しかし、その息子(天保の生まれ)は清吉といい農民っぽい感じです。

四五右衛門という農民もいれば、清吉という武士もいたものでしょうか?
教えて下さい。

2 :名無しさん:2000/04/20(木) 01:43
名前で身分を判断するのは困難ではないでしょうか。
「〜衛門」=武士、というわけではないと思います。
あと、名前の他に「屋号」の問題があります。
あなたの親戚中で家単位で「〜衛門」とか「〜兵衛」と呼ばれているところは
ありませんか?屋号も身分に関係無く存在します。
さらに、江戸時代は士農工商の区別が厳格だったわけでもありません。
(例:坂本竜馬、勝海舟など)
庄屋クラスであれば、実質は農民だが苗字帯刀、という人もいるでしょう。
ご先祖の身分を探りたいのであれば、名前から、というアプローチは
あまり意味をなさないように思います。
もっとストレートに、家業はなんだったのか、というところから
調べた方がいいでしょう。

3 :名無しさん:2000/04/20(木) 03:49
名前? 氏姓じゃなくて? 難しいなあ。

4 :名無しさん:2000/04/20(木) 09:17
四五右衛門という名前の武士も農民もいただろうけど、
清吉って通称の武士はいなかったんじゃないかなあ。
幼名ならともかく、元服して清吉ってのはねえ。

5 :名無しさん:2000/05/04(木) 11:21
室町時代だったら名前(通り名のほう)である程度出自は推定できたようです。
戦国以降かなり僭称者が出て来て混乱し、江戸時代ではその混乱のまま定着、さらに明治以降はある程度勝手に名前が付けられるようになったのでもう身分と名前は関係なくなってしまいました。
ネーミングのルーツ的には“四五右衛門”は祖先に右衛門督か右衛門尉とかの官職に着いたまたは僭称したものの子孫で、四男の五男に生まれたか、その位置にいるものが起こした家系。
“清吉”は本姓が清原朝臣であることを示していますが、そう言った目的で名付けられたかどうかは書かれている情報だけでははなはだ疑問ですね。
武士であるなら本姓(藤原朝臣とか源朝臣とか)が必ず伝わっているはずです。
また系図に書かれてなくても江戸時代には神社に奉納物があるばあい本姓を書くことになっていますので、そのへんを確認するとよいでしょう。

6 :水道橋@二ガー:2000/05/04(木) 12:18
上岡鶴見之上=「士文」=旗本

7 :水道橋@二ガー:2000/05/04(木) 12:19
上岡鶴見之守=「士文」=旗本

8 :名無しさん:2000/05/04(木) 12:33
名字がないと天皇(藁

9 :>5:2000/05/04(木) 13:12
なんとか右衛門の先祖が右衛門督か右衛門尉であるようなことって
実際にはほとんど無いんじゃないか?あまりにもありふれているもの。
清原朝臣うんぬんも、由緒ある家系においてすら例外はいくらでも
あるよ。清左衛門を名乗るのに藤原だったり、藤兵衛なのに源氏だったりね。
武士であって本姓を持たない実例もいくらでもある。
連名でほかの人が本姓を記しているのに、本姓不明で記していない
ような場合もある。
あんたの書いてることはルーツ探しの入門書に載ってるそうなことだけど、
実地に調べてみると全然違うのだよ。

10 :>9:2000/05/04(木) 17:26
5です。
ちゃんと戦国以前とことわってますが…
確かに戦国時代以降はおっしゃるとおり混乱していますが、室町以前から続いている家の文書などを調べるとわりと鎌倉〜室町初期までは追い掛けられますね。
通り名は最初出自を表すためのものだったのですが、僭称者がふえたり、公家の勢力が失われてからの混乱は枚挙に暇はありませんね。
ただし、中にはきっちりと守っているものもあるので(地下家など)、江戸時代でもすべてがすべてでたらめともいえませんが…
また、神前における奉納物の件は井草八幡などの流鏑馬額を実際に数点見て書き込んでいますので実地で見なかったわけではないですよ。
ただし、これらの額文は藤原と源姓しかないのでいかにもとってつけたようになってますが…


11 :名無しさん:2000/05/04(木) 22:32
現代の「〜すけ」という名前が戦国以降の僭称のなれのはてです。
「すけ」は輔、助、介、祐、亮などいろいろありますが、
もともとは律令制で「役所の次官」という意味ですね。
「〜えもん・さえもん」「〜のしん」「〜のじょう」などが戦後
消えていき、今はこれしか残ってませんね。

12 :名無しさん:2000/05/05(金) 00:44
〜作というのも成れの果ての一種だそうで…
元は目(さかん)という官職だったとか。

13 :9>10:2000/05/05(金) 12:21
でも、そもそも1さんの先祖の四五右衛門さんは幕末の人なんだからさ。
あんたもそれに沿ってモノを言ってるんだと思ったんだけどね。
奉納額でもなんでも、あやしげな本姓を名乗っている例はたしかに
いくらでもありますよ。9でもそれは否定していないつもりだけど。

>武士であるなら本姓(藤原朝臣とか源朝臣とか)が必ず伝わっているはずです。

「必ず」って言ってるからさ。実地で見聞したからって「必ず」ってことには
ならないんじゃない?他の人が名乗っているのに同じ文書で名乗っていない
実例をいくつも見ているものでね。わからないままにして、無理矢理
名乗っていなくても、それほど問題なかったんだと思います。
朝廷から官職もらったりするわけでもなければね。

14 :名無しさん:2000/05/05(金) 13:43
清吉が武士の身分なら「きよよし」と訓んでいたと思うよ。

15 :名無しさん:2000/05/05(金) 13:49
1さん。
系図とかは残ってないのですか?

明治期の戸籍なら士族か平民かの区別が戸籍に書かれていると思うのですが…

16 :名無しさん:2000/05/05(金) 14:20
通り名だけでは出自はわからないよね。四五右衞門といったって、
家持百姓が家督をとったときの衛門成りで珍しくも何ともない。
清吉が百姓の名だというわけでもない。勝海舟の親爺は小吉だからね。
清吉から清原姓を連想するのも穿った見方で、本姓は南北朝以降
日常的には使われなくなったらしくて、いえるとすれば、氏素性の
わからなくなった者が必要なときの爲に四姓を使ったというくらいだね。
徳川家康も最初は藤原姓を稱していたのが、後で源姓に乗り換えたわけだ。

17 :>16:2000/05/05(金) 15:43
>家持百姓が家督をとったときの衛門成りで

農民で衛門を名乗るのは家持百姓というのに限られるの?
「家持」ってのは自作農ですかね?
「衛門成り」って言葉があるのか。

勝小吉の小吉っていうのは壮年期になっても小吉だったのか。

18 :>17:2000/05/05(金) 17:50
わかりやすかろうと碎いた表現をしたら逆にわかりにくくなったわけだ。

家持百姓は、歴史用語風には村のおとな身分というべきかな。
村の身分階層のどこで線を引くかは専門家じゃないし、
地域差もあるだろうから、
嚴密な回答ができないので許してね。

自作農は定義に問題がある。地域差があるからね。
僕の出身の西國では、自小作の分化は、明治以降急激に進んだので、
維新以前の百姓は大なり小なりの自作地をもっていたらしい。

衞門成りは例が衞門だったから使った。○兵衞だと兵衞成り、
越後守だと國司成りってわけで、全部ひっくるめて官途成りっていうのよ。
百姓の國司成りは知らないけど、權守成りは實例があるらしい。

武士の通り名に○吉がふさわしくないという臆測があるのかな。
質問の意圖がわからないけど、官途成りして左衞門太郎といったのかな。
詳しく知らない。「夢醉獨言」でも見てね。



19 :名無しさん:2000/05/05(金) 20:02
「士門」とか「士文」とかは
典型的な武家の男の名前。


20 :名無しさん:2000/05/06(土) 01:37
勝小吉の諱は惟寅、通り名は左衛門太郎。

21 :名無しさん:2000/05/06(土) 04:03
身分が農民でも、庄屋クラスであれば屋号襲名して代々偉そうな名前を
名乗ってる家は多いよ。

22 :1です:2000/05/06(土) 05:22
沢山のレスをありがとうございます。
>15さん
系図は残っていません。
戸籍も昭和63年にとったもので、身分の区別は記されておりません。

一番古い時代の戸籍を見ますと、「戸主 林 清吉」となっており、
その上に、「文久三年七月三日長崎県・・・○方 清次兵衛二男入籍ス
弘化四年一月七日相続」(○方は名字ですが、○の部分の漢字が分りません)
戸主 林 清吉の右には、「亡父 四五右衛門養子」 左には、「天保七年
一月三日生」と記され、前戸主欄は、「亡父 林 四五右衛門」となって
おります。

 

23 :17:2000/05/06(土) 12:36
18さんありがとう。
ウチの先祖は東京で名主身分で代々「丈右衛門」を名乗っていた
んだけど、農民でも「衛門」を名乗るのは相対的には有力者であった
と解していいんですかね。たしかに「〜吉」より「衛門」や「兵衛」
のほうが偉そうだけど、小作でも「衛門」を名乗れるんだと思っていた。

海舟の父の通り名は左衛門太郎っていうのか。すると「小吉」は何
でしょうかね?武士の場合、やはり幼名はともかく大人になって
「〜吉」はないんじゃないですかねえ。3つほどの小藩の武士の人名を
詳しく見たことが過去にあったんだけど、「〜吉」は一つも記憶がない。
偶然かもしれないけどね。

24 :ななしさん:2000/05/06(土) 13:00
戦国時代には京極高吉というひとがいたなあ。

25 :>23:2000/05/06(土) 16:39
偶然ですね。福澤諭吉は士族です。
幼名と假名(通り名)の違い、假名における官途成りの意味を
お調べになると誤解は氷解するものと思います。

興味があれば武鑑を調べてみればいかがでしょう。

ただし、重役級の武家で倅に○吉という名をつけたかどうかは
知りませんので、惡しからず。
武士もピンキリですからね。
徳川時代の川柳をひとつ。
大名も元は野の骨馬の糞

26 :名無しさん:2000/05/07(日) 09:07
ほかのスレッドで出てたけど、徳川家康の子に
忠吉
っていたね。
彼は別に幼少時に死んだわけじゃないし。


27 :>26:2000/05/07(日) 09:38
ネタ?

28 :>1:2000/05/07(日) 09:48
寺の過去帳で調べれば、戒名のランクから
ある程度の身分が推測できるのでは?

29 :羽柴誠三秀吉:2000/05/20(土) 14:59
吉を「よし」と読むのと「きち」と読むのでは大違いでしょう。

30 :名無しさん@1周年:2000/05/23(火) 15:16
同じ吉田さんでも、“吉”の上の字が
“士”なら武士、“土”なら他の身分(忘れました)
って日本史の先生が言ってました。

31 :邦人X:2000/06/02(金) 16:16
>30
ネタっぽいですが。
漢字の違いは、その本意はともかくとして、単に異体字(?)なだけで、
身分を表すものではありません。

>29
この場合、名前の定義で区別するべきです。
諱、通り名、等の違いにより自ずから読み方も違うだろうと思います。
整理をしないと話しが見えにくいと思います。

>25
それに、本来「吉」の場合も源平藤橘の「橘」からきているとも言われているから
武士だとかどうとかは、関係ないのでは?

>1
そもそも、元武士が帰農したときに武士時代の名称を
代々世襲しているのかも知れないし、
結論から言うと、名前からは判断できないでしょう。
また、いつの時点で武士であるかを知りたいのでしょうか?
少なくとも、普通の日本人ならば、必ず武士の子孫と言えるのでは?

戸籍に記載されている本籍地に行って調べるのが一番良い予思います。



32 :名無しさん@1周年:2000/06/03(土) 01:10
柳生 十兵衛 三巌、とかってあるでしょ。

きゃつは、名乗るとき、全部言うの?


33 :竹田丹後守:2000/06/04(日) 04:11

ふだん「柳生十兵衛」(苗字+通称)と名乗っても「柳生十兵衛三巌
(みつよし)」(苗字+通称+実名)とは名乗らなかったんじゃない
ですかね 実名は公式文書に署名するときなどに本姓と組み合わせて
「菅原三厳」という具合に用いたのではないでしょうか(確信なし(爆))

同様に江戸期の武士の名乗りについて数例挙げますと、例えば「坂本龍馬」
は実名の「直柔(なおとお)」を使うとき、「坂本直柔」とせず、本姓と
組み合わせて「源直柔」としたと思います(坂本氏は明智光秀の一族の
後裔を名乗っているので源氏である)

「西郷隆盛」は江戸時代は苗字+通称の「西郷吉之助」と本姓+実名の
「藤原隆盛」を使い分けていたのではないかと思われます(西郷氏は
菊池氏の後裔らしいので本姓は藤原であろう) 「西郷吉之助隆盛」
もしくは「西郷隆盛」とは名乗らなかったと思います

(確信はないのでより詳しい方のツッコミをお願いします(^^;)


34 :名無しさん@1周年:2000/06/04(日) 19:51
>33
本姓実名をなのるときは姓“かばね”をつけるのが正式だから
「源朝臣直柔」「藤原朝臣隆盛」としたはずですね。
「藤原朝臣隆盛」は明治3年版の「職員録」に実際に記載がありますね。


35 :山県昌景:2000/06/10(土) 03:51
名字が一文字や方角「南」、「東」って言う人は南蛮人だと聞きました。

36 :名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 04:47
>35
嵯峨源氏や仁明源氏、貞朝臣系統だと一文字だよ。
渡辺党、肥前松浦党なんかがそうだよね。

37 :36:2000/06/10(土) 04:55
あー、ごめんごめん名字ね。
源氏や平氏、橘氏なんかはそんなことないぞ
全部が全部そうとはかぎらない
ケースBYケースだよ

38 :名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 16:16
「釈」とか「無着」とか、
僧侶のつけた名字は独特なので、
こういう名前の人を見ると先祖が
僧侶だったんだなあというのがわかる。

39 :>33:2000/06/12(月) 17:06
西郷隆盛で言えば、
公式には、藤原朝臣隆盛
一般的には、西郷吉之助
正式には、西郷吉之助隆盛(隆永?)
明治以降は西郷隆盛

だと思います。

有名な話で、隆盛というのは父親の実名。

40 :西郷隆永:2000/06/12(月) 17:28
ってのは聞いた。
本名は「ウドメさぁ」でした。

41 :名無しさん@1周年:2000/06/12(月) 17:35
隆盛ってのは父親の実名なの?どうして西郷どんが「西郷隆盛」として
定着してしまったのかね。

42 :>41:2000/06/13(火) 06:34
戸籍の整理のとき、うっかり部下が父親の名前の「隆盛」で登録したため。
「隆永」であるはずのウドさぁは、そのままにしておいたため父親の名前で
呼ばれつづけているのね(実話)

43 :>41:2000/06/13(火) 13:59
部下の名前はたしか五代友厚だったような・・・?

44 :名無しさん@1周年:2000/06/13(火) 14:25
名前でどのような人間であるか推測することは可能です。
例えば、マイケルやジョージなどカタカナ名であると外国人である可能性が高いという調査結果が出ています。(防衛庁刊行「趣味の國防便り」昭和53年10月号より)

45 :丈二(ジョージ):2000/06/13(火) 14:49
俺は日本人だ。

46 :舞蹴(マイケル):2000/06/13(火) 14:51
俺も日本人だぞ。

47 :羽鶏子唖(パトリシア):2000/06/13(火) 16:19
私も日本人よ。

48 :名無しさん@1周年:2000/06/13(火) 16:42
明治になって朝廷の官職に関係するような名前は禁止されたらしいですね。「−−すけ」とか「−−兵衛」とか。

(参考図書:江田島平八著「あいつにらぶげっちゅー」1997.民明書房刊)

49 :岸信介(1897年生まれ):2000/06/13(火) 16:51
なんでだよー。

50 :芦屋雁之助(1931年生まれ):2000/06/13(火) 16:55
ワテはセーフでんな。

51 :むた:2000/06/13(火) 17:02
禁止されたのではなくて、自ら遠慮して改名した人が多かったというだけの話では無かったでしょうか。(すいません、今確かな根拠ありません。48氏のように信頼置ける「参考図書」が手元にあればよかったのですが。)


52 :名無しさん@1周年:2000/06/13(火) 17:08
>51
笑っちまったじゃないのサ。
一応突っ込んでおく。

53 :48、51、52:2000/06/13(火) 17:22
民明書房シリーズ、大変役に立ちますね(笑)。

54 :53:2000/06/13(火) 17:25
失礼。笑いながらやってたら間違ってクリックしてしまった。
共同通信みたいなミスだね(笑)。

48、51、52 →>48、51、52

の間違いです。

55 :大江朝臣正房:2000/06/17(土) 00:15
立命館の創始者は、西園寺公望ですが、立命館大学の図書館に掲げられてある
扁額には「藤原公望」とありました。

56 :竹田丹後守:2000/06/17(土) 01:52
> 48 51

太政官布告で「通称」として使うことを禁止したようです
実名の場合は問題なかったようですが、この布告の発令以降、実名に
官職系?のものを使う人が減ったらしいです(「自粛」つーやつですな)


15 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)