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江戸時代の「官位」

1 :名無しさん:2000/04/27(木) 16:35
「どこそこのかみ」「どこそこのすけ」みたいな律令制の官職が、
武家にとっては単なる名誉称号になってたわけだけど、
実際問題としてどういう具合に意識されてたんだろう?
例えば島津家を「薩摩の守」に任命するみたいな
現実の領地の考慮ってあったのかな?
「薩摩の守」が島津氏と一緒になったとき、
そういう話はしたのだろうか?

2 :名無しさん:2000/04/28(金) 00:09
伊達政宗は「美作守(今の兵庫か岡山)」だったような・・・

3 :名無しさん:2000/04/28(金) 05:14
伊達家って、代々陸奥守じゃなかったっけ?>2

たしか、称号と現実の領地名が一致するのは、
 陸奥:伊達家
 薩摩:島津家
 対馬:宗家
の三家だったと思うよ。(短期間の一致も含めれば他にもあるかもしれないが)
以上のいづれも鎌倉時代からの守護大名。

あと、信長みたいに将来の願望(九州制覇)を込めて、
部下に筑前守(秀吉)、日向守(光秀)を名乗らせたってのもあるね。

4 :あと:2000/04/28(金) 05:37
地味ですが生駒一氏の讃岐守(領土同じ)もありますが、
これは偶然の一致?
探せばまだありそう。

5 :名無しさん:2000/04/28(金) 07:51
国持大名と特に許された者以外は自分の領地の受領名を
使えなかったと聞いたことがあります。




6 :名無しさん:2000/04/28(金) 18:07
武蔵守は江戸時代にはタブーだった。

7 :名無しさん:2000/04/28(金) 20:12
正宗は秀吉時代は越前守

8 :そして関ヶ原あたりは:2000/04/28(金) 22:08
大崎少将…だったような気が。

9 :4番:2000/04/28(金) 22:10
一氏じゃなかった、一正だ。
誰もつっこまないあたりにこの武将のマイナーさを感じるなぁ。

10 :名無しさん:2000/04/29(土) 04:12
あれ?5のレスでいいんじゃないの?
江戸時代の国持ち大名は

松平安芸守=浅野
松平薩摩守=島津
松平陸奥守=伊達
松平・・・・・

違ったっけ。



11 :名無しさん:2000/04/29(土) 05:03
伊達と島津は中将までいけるぜ。

12 :名無しさん:2000/04/29(土) 07:39
衣町家は攝津守家だもんな。

13 :ヒットマンスタイル:2000/04/29(土) 09:01
対馬の宗は少将までだな。

14 :名無しさん:2000/05/01(月) 03:23
細川越中守

15 :名無しさん:2000/05/03(水) 02:48
age

16 :名無しさん:2000/05/06(土) 11:55
江戸時代の官位は、東百官といつてまあ、幕府や藩がかってにやってるんでしょ

17 :ある@実は文転失敗の機械科学生:2000/05/06(土) 14:39
幕府が任命した後に奏上するんでなかったけか?
ついでに言えば、幕府が任命した官位は全て
「員数外」なので「酒井雅楽頭」ってヒトが居ても
京都には別に「雅楽頭」の職のヒトが存在したわけで...。

18 :名無しさん@1周年:2000/05/25(木) 20:36
官位と所領を一致させるということは、
転じて官位なくしては所領がもてない状況を作り出しかねず、
ひいては朝廷の発言権を強化してしまうかもしれない。

よって、幕府としてはあえてバラバラに官位を与えることで、
官位の無意味さを示すという深慮遠謀があったのでは?

19 :名無しさん@1周年:2000/05/26(金) 00:22
大名の官位の家格で言えば

三位参議  前田
四位中将  島津 伊達
四位少将  国持18家、小規模の親藩、高家筆頭クラス
四位侍従  10万石程度以上の大名、落ちぶれ古代名族
五位    その他下級大名、上級旗本

20 :名無しさん@1周年:2000/06/02(金) 14:13
島津家が伊達の先を越して中将になった時に、伊達は必死になって
政治工作しまくって中将位を得たそうですな。伊達は島津と同格という意識が
あったらしい。石高は島津の方が上なのにね。

21 :邦人X:2000/06/02(金) 15:09
>16
東百官とは地方の武士が官職を詐称するときに名乗った、
律令制の官職に似た名称のことだったと。
たとえば、頼母、左膳、右門など。
>17
たしか名目上は、幕府が申請して、朝廷が授けるという形だったと思います。
員数外になったのも、秀吉の時代に武士があまりにも多人数「公卿」になったため、
本来の「公家」が影響をうけないように家康(?)がはじめたとか。

>18
官職と領地の不一致は、本来「公的」には官職のない、地方の武士が箔をつけるために
勝手に官職を私称したのがもとでは?
それにその延長で、位階があっていれば官職なんて気にしなかったのでしょう。

22 :18:2000/06/02(金) 19:42
>21
確かにその通りだと思うのです。
ただ、ひっかかるのは、
伊達や島津のような有力外様大名に限って官位と領地が一致するということです。
幕府の指図を受けず朝廷から直接統治権を委ねられているのだという、
態度の表れだったのではないかと思うのですが、どうでしょう?


23 :名無しさん@1周年:2000/06/03(土) 01:16
>武蔵守は江戸時代にはタブーだった。

のは何故。
っていうか、誰だった?




24 :上野介:2000/06/03(土) 08:14
もちろん江戸のある武蔵野国の国司を名乗るなんて、
将軍家に対して恐れ多いからじゃん。

武蔵守だけだないよ。
家康ゆかりの地、晩年の居城のあった駿河。
同じく徳川(松平)家発祥の地、三河。
京のある山城。
これらの地の国司(守[かみ]、介[すけ]、掾[じょう]、目[さかん])
を名乗ることは恐れ多いこととされていた。
と聞いたことがあります。



25 :Armando:2000/06/03(土) 09:01
これ、よく考えると実にへんてこな慣習だと思う。勝手に国家の官職を
名乗って、むろん実際にその権限は無いとはいえ、誰もそのことをとがめ立て
しなかったんだから。現在にたとえてみれば
「私は、斉藤群馬県知事です。」「田中清水市市長さん、こんばんは。」
「どうです、鈴木文部省次官補佐さん、これから一杯」なんて言う会話が飛び交って
いたわけで、しかも互いに勝手に名乗り合っているという。外国人にどうやって
説明したら良いんだ(^^;)。

26 :名無しさん@1周年:2000/06/03(土) 09:24
>25

ううむ・・・。
今まで全く考えたことなかった。
言われてみればその通り。

27 :名無しさん@1周年:2000/06/03(土) 09:46
由来など深く考えず、名前の一部として使っていたと思いますよ。
兵衛、衛門、介、輔、助、郎などなど、元を正せば官職から来ている
名前はたくさん有りますが、その名前を聞いて官職は意識しませんよね。

外国でも、英国皇太子が「ウェールズ公」を名乗る例もある。
でも皇太子がウェールズ地方の行政権を持っている訳ではありません。

フランスでも例えば「シャルル・ド・プロバンス」「フランソワーズ・ド・アキテーヌ」
などといった名前が見られますが、必ずしもその地方を領していた訳ではありませんし、
同じようなものです。
ただし、フランスの場合は昔領有していたのですが...




28 :名無しさん@1周年:2000/06/03(土) 14:10
伊達は島津と同格と思っていたが、戊辰戦争で大きく引き離されましたね。
最終的に島津はその前後に毛利と共に従一位になって徳川と同格だし。
あっ薩摩や長州の邪悪層が孝明天皇を「病死」あつかいにして
逝かせているので(西郷が臭わせてる)
従一位どころが、天下を掌握したなあ。
かわいそうなのは伊達。
宇和島藩も非主流派においやられたんでしょう?たしか。


29 :名無しさん@1周年:2000/06/03(土) 15:48
権兵衛(ゴンベイ)って、「どこにでもある名前」って意味で使われているけど、
元々、権兵衛(ゴンノヒョウエ)って名誉警視総監ってな感じの官職だもんね。


30 :名無しさん@1周年:2000/06/05(月) 02:12
山本権兵衛提督は正式な呼び名は(ごんべえ)なのにえらくなって、
天皇陛下に謁する時には(ゴンノヒョウエ)と名乗ったらしいです。

31 :当時の記録によると:2000/06/05(月) 02:42
村の鎮守レベルの神社の神主でさえ越後守などと守名乗りをしていたようですが
これはどこかから叙任されたものでしょうか?

32 :邦人X:2000/06/05(月) 11:10
>22
少なくとも江戸時代には、朝廷から直接統治件権を委ねられていたわけでは
無いと思います。代替わりの際に、将軍から領国統治の朱印状をもらいます。
これは、直接には朝廷とは関わりありません。

また、伊達や島津の歴代が必ず、領国と一致した受領名を名乗っていたのかは良く知りませんが、
両者とも所謂鎌倉以来の名門で、基本的に領地の移動はほとんど無かった大名です。
そのあたりのことも理由としてはあげられるのではないでしょうか。
少なくとも伊達に関しては、政宗以降なのは明らかですし、比較的新しいのではないでしょうか。
詳しくはわすれましたが、信長は領国と受領名を一致させようとしたとどこかで見たような気がします。

33 :名無しさん@1周年:2000/06/05(月) 13:32
尾張守も江戸時代には誰もいなかった。終わりの守では、ごろが悪すぎる。

34 :>27:2000/06/05(月) 14:18
英国とかの爵位名の由来は結構色々で領地名とかにはかぎらないでしょ?
例えばチャーチル家のマールバラ公とかは戦勝地(外国の地名)の名前だしね。
結構そいうのはあるですよ。

35 :おとみ:2000/06/05(月) 15:37
官職名と実際の居住地の違いは、平安時代の遙任(字が違いますm(___)m)から始まります。
律令政治が崩壊して正式な国司等は都に残ったままで、実際は在庁官人が実務を行うなど有名無実化し、さらに武士による統治で形骸化し、官職名=官位のような扱いになりました。
ですから、「〜守」とか「〜介」という物は勝手に名乗れるものではなく、その人の身分にあわせた官職名を幕府や朝廷から賜ります。贈られる国名は居住地と一致することはなく、国にも大国・上国・中国・下国とランクがあって、身分にあわせて贈られます。
また、朝廷や幕府から正式に官職名を賜った者(守護大名など)だけはその家臣に別途その身分に応じて「〜守」などの官職を与えることが出来ます。
ですから同時期に違う地域で同じ官職名を名乗る人物が存在します。

勝手に名乗ってるわけでは無いのですよ!!

36 :名無しさん@1周年:2000/06/05(月) 23:29
確かに大名クラスは朝廷から賜った官職名を名乗っている。
でも、外様の小大名の家臣が「○○守」「刑部少輔」「左近」「主計頭」、、、
などという、とても朝廷から賜ったとは思えない官職名を名乗っている
例もある。例えば、忠臣蔵の大石「内蔵助」、大石「主税」など、
あのような小国大名の家老やその子息にしては高位過ぎるとおもうのですが。

俺の聞いた話では、織田信長が織田家の家督を相続した直後、朝廷から賜っていない
「上総介」を名乗ったのが始まりで、勝手に官職名を名乗るようになったとのことでしたが。


37 :名無しさん@1周年:2000/06/06(火) 00:52
>36
信長は最初は“上総守”を勝手に名乗った。
今川に対するささやかな抵抗だったらしい。
あとで上総が親王任国と知ってからか“上総介”に変えた。

38 :竹田丹後守:2000/06/06(火) 01:37

江戸時代、小大名の家臣で「○○守」「○○頭」などなど国司・諸寮司の長官クラス
の官職名を僣称している例はないと思います(大々名なら正式に任官している例が
ありますが)
同様に(国司より格式の高い)八省・衛府の次官の官職名の僣称もないと思います
「内蔵助」は内蔵寮の次官の職名ですが、諸寮・諸司の次官クラスなら勝手に僣称
してもよかったんだと思います(たぶん)(どうやら六位以下の官職名なら僣称が
許されるようだ)
あと、「左近」「主税」は単に役所の名前をそのまんま通称にしているだけですので、
僣称もへったくれもないと思います

>織田信長が織田家の家督を相続した直後、朝廷から賜っていない「上総介」
>を名乗ったのが始まりで、勝手に官職名を名乗るようになったとのことでしたが。

これはあり得ないです 元々、信長の家臣もかなり官職名を僣称していますし
(例:「林佐渡守」「梁田出羽守」等)
また、他の大名の家臣も同様です

>また、朝廷や幕府から正式に官職名を賜った者(守護大名など)だけはその家臣に
>別途その身分に応じて「〜守」などの官職を与えることが出来ます。

これはいまいち意味が分かりませんので具体例を挙げていただけないでしょうか

39 :竹田丹後守:2000/06/06(火) 01:44
ちょい訂正

(大々名なら正式に任官している例が

   ↓

(大々名の家臣なら正式に任官している例が

40 :おとみ:2000/06/06(火) 09:59
>38
>>別途その身分に応じて「〜守」などの官職を与えることが出来ます。
>これはいまいち意味が分かりませんので具体例を挙げていただけないでしょうか

大河ドラマ「毛利元就」で、守護大名である大内氏(幕府から正式に任官されている)が、毛利氏に官職と名前を与えるシーンがあったでしょう?
ああいう感じで、家臣や従属する小名に守護大名が官職を与えるのです。


でも、これにもルールがあって、
与える守護大名より高位に値する官職名は与えられない。
近隣の守護大名と同じ官職名は避ける。
近隣の守護大名より高位に値する官職名は避ける。
などがあります。

信長の場合、朝廷から賜る前は、本家から賜った官職名を名乗っていたはずです。
同時期に上総介を名乗っている大名やそれらの家臣がいますが、これも勝手に名乗ってるわけではなく、朝廷・幕府から官職を賜った、もしくは、朝廷・幕府から官職を賜った人から賜ったものであり、決して勝手に名乗っていたわけではありませんし、勝手に官職を与えていたわけでもありません。
もし勝手に名乗ったならば「過分」(職分をこえた行為)であり、当時の思想の根底には「過分」や「破格」(家格をこえた昇進)があると乱世の元になり、ろくな死に方は出来ないと畏れられていました。


41 :名無しの権兵衛:2000/06/06(火) 14:20
>35、38
よく理解できないので教えて下さい。

質問1.守護大名が家臣に官職を与えて良いという根拠は何ですか?
つまり、その際の「ルール」の拠り所は何処にあるのですか?
幕府でさえ諸大名への叙任の際には、朝廷から貰っているのに、
大名が受領名を授けて良いという根拠を教えて下さい。

質問2.勝手に受領名を名乗れないのはなぜですか?
たんに「過分」、「破格」だから?

質問3.いわゆる「下剋上」は「過分」、「破格」にならないのですか?
信長だって、もともと尾張の小守護代クラスだし、
そういう意味では「破格」だと思いますが。

質問4.「身分」=「位階」だとすると、その身分に応じて家臣に官職名を授けるのは、
正式に任じられた官職と、大名が与えた官職が同じということもあり得るわけで、
例えば、直臣と陪臣が公式的に同格ということになり、矛盾しませんか?

42 :おとみ:2000/06/06(火) 20:08
>41
>幕府でさえ諸大名への叙任の際には、朝廷から貰っているのに、
>大名が受領名を授けて良いという根拠を教えて下さい。
大名クラスの受領名は上記の通り、幕府・朝廷から賜る正式な物です。それに対し、大名の家臣は、大名が預かる国の中での官位です。
大名が預かる国はある意味では天皇・幕府に政治を一任された独立した国家とした扱いです。
別な言い方をすれば、大名は小国家の国王であり、天皇や征夷大将軍はそれらを統べる帝王という階層構造です。
この階層構造を理解できれば、大名は大名の家臣に名乗りを与えられる理由がわかると思います。

>勝手に受領名を名乗れないのはなぜですか?
受領名は本来、職務の名前が形骸化した物です。
おおもとの意味をなす職務は任じられる物で、立候補してする職務ではないでしょう。
また同等の意味になってしまった官位も叙せられる物で、自分で勝手に官位をあげることは出来ません。
根本の意味を知れば、勝手に名乗るものではないものであることは自明であるでしょう。

>いわゆる「下剋上」は「過分」、「破格」にならないのですか?
はい。過分、破格です。だから下剋上の世=乱世たるゆえん。
ただ、多くの戦国大名やその家臣はそれらを避けるため、わざわざ、幼少の若君を担い傀儡にすることで大義名分を保ったり、公家に裏工作して官職を譲り受けたりして大義名分を果たします。
本当に下剋上だったのはほんのわずかで、巷で下剋上と言われているもののほとんどは上記工作により回避されているというのが正しい戦国の見方です。

>直臣と陪臣が公式的に同格ということになり、矛盾しませんか
弱小大名と大大名の家臣の官職名は逆転することはありますが、大大名の家臣は実は弱小大名より家格が上な場合が多いです。(というのは大大名の家臣は小名として正式に官職を賜っている場合もある)
その人の身分・家格に応じて官職名をつける訳ですから、家格的に逆転する事はまずないです。
大岡越前のように飛躍的に昇進した人も、家格をあげるよう小細工してから昇進させることによって面目を保っています。

43 :Armando:2000/06/07(水) 08:36
ふむ、それなりに手続きが必要なのか。

44 :竹田丹後守:2000/06/11(日) 23:49

>大河ドラマ「毛利元就」で、守護大名である大内氏(幕府から正式に任官されている)が、
>毛利氏に官職と名前を与えるシーンがあったでしょう?

そんなシーンがあったのですか(^^; よく覚えてないっす(爆)
ということは、官職の僣称は一応地域の親玉の許可がいるわけですな


>はい。過分、破格です。だから下剋上の世=乱世たるゆえん。

当時、官職は厳格に身分を表徴するものではなく、単に通称代わりとして軽いノリ?で
使われていたのではないでしょうか もちろん、官職名をそのまま使った通称は他の
通称(例:太郎・次郎・吉之助・龍馬・晋作・・・etc)よりも数段ステイタスのある
ものだったと思いますが
当時、位階(「従五位下」・・・等)の僣称はなかったと思いますが(もしあったら
教えて)位階の僣称は(己に箔を付けるには)意味がなかったのでしょう 同様に官職名
の僣称も「過分」もへったくれもなくあまり意味がなかったのでしょうが、己の名乗り
(通称)にすることができたのでたまたま流行したのではないでしょうか


>大名クラスの受領名は上記の通り、幕府・朝廷から賜る正式な物です。それに対し、
>大名の家臣は、大名が預かる国の中での官位です。

いまいちよくわかりません 朝廷は大名個人に「○○守に任ずる」という資格を
与えているだけで、「○○守に任ずる なお、今後、同等の官職を家臣に自由に
与えても良い」などという権利まで与えておりませんが・・・・
これは朝廷の官職任命権?を侵害していると思いますがところで、私はその後あちこちで調べたのですが、江戸時代の武家の官職も実は五位
クラス(国司・諸寮司の長官クラス)のものは僣称だったようですな(知らんかった
・・・(^^;) というわけで、1で挙げられている島津家の「薩摩守」も江戸時代は
僣称だったようです もちろん、勝手に名乗っているのではなく、幕府から許可を受けて
いるんでしょうが(たぶん(^^;) 島津家の歴代の当主は、だいたい中将あたりの官職
を正式に与えられているようですな


45 :竹田丹後守:2000/06/11(日) 23:55

おいおい 改行とかむちゃくちゃになっとるがな・・・>ボードオペ
(・・・て、こんなとこ見てないか)


46 :名無しの権兵衛:2000/06/12(月) 11:27
>42@`44
毛利氏のシーン、もしそれがテレビ上の都合でないとすれば、
国主が官位を与えたというより、国主が官位を申請したとも考えられるのでは?

下剋上が破格、過分ならば、それを行った武士が少なからずいる以上、
破格、過分だから僭称をしないという理由にはならないと思います。

だから、「国司が中央の官位を、臣下のものに与えて良い」という
文献等の根拠があるかしりたかったのです。
教えてください。


47 :名無しさん@1周年:2000/06/15(木) 12:45
単に国司・大名クラスの人が、配下の人のために「代理申請」してあげたということでは?
彼らに叙任する権限はないけれど、
代理で申請したなら代理人から本人にわたすのは割と自然な流れだし。

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