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出雲大社は古代最高の高層建築だったのか

1 :名無しさん:2000/05/08(月) 23:43
?だとしたらそれはなぜ?井沢の推理は違うと思うけどな。

2 :名無しさん:2000/05/09(火) 06:47
元彦の話はするな。

3 :名無しさん:2000/05/15(月) 09:48
最高かどうかはともかく、土台が見つかったってのには驚いたよ。
史家の見解では文章では何十メートルもあったとあるが当時の技術では
眉唾物だというのが大勢だったわけだろ?今ごろ頭抱えてるだろ。
古文書とどっちがあてにならないのかわからんよ。

4 :名無しさん:2000/05/15(月) 21:25
だから俺は前から古事記、日本書紀の話しの内容とかも
本当だって言っていたんだよ。
日本の歴史をかたっぱしから、インチキ扱いする
似非歴史家は切腹しろ!

5 :名無しさん:2000/05/16(火) 04:37
2さんには悪いけど井沢の推理ってどういう内容か教えて下さい。

6 :>5:2000/05/16(火) 06:09
例の日本人は勝者より敗者を崇拝するという説。平安時代の怨霊説ならわかるが、出雲はどうかなあ?

7 :名無しさん:2000/05/16(火) 17:02
「なんとなく」だったら笑える

8 :名無しさん:2000/05/17(水) 00:33
出雲には最低でも大和並の力があったということだ。


9 :歴史好き:2000/05/17(水) 05:02
出雲は大和朝廷のもっとも恐れる国だった。朝鮮系の大和朝廷が渡来
してくるまでは、最大の国だったのでは。石の民と云われる筑紫の磐井
でさえ、単独では大和に対抗できず、新羅から援助を受けて叛乱して
いるが、出雲は単独で大和と戦った形跡がある。だから、それだけ
きちんと鎮魂しないといけない、ということです。

10 :名無しさん:2000/05/17(水) 10:57
縄文信仰というか古神道というか、高木を神体として崇める風習があった。
これと神社建築(といっても寺の模倣だが)が結びついて高層建築になった
んじゃないかと個人的には思う。

>4
戦後の皇国史観排除の嵐の中、津田学崇拝とアカい頭の連中が得意の切り捨
て主義(これは信じられないとかの理由で)で「記紀」そのものを否定しす
ぎたからだと俺は思うよ。

11 :名無しさん:2000/05/17(水) 12:17
>神社建築(といっても寺の模倣だが)

???


12 :>9、10:2000/05/17(水) 13:21
>9
>朝鮮系の大和朝廷
厨房クン、でまかせ言っちゃいかんよ。
この板はレベルが低いからみんな信じてまうぜ。
証拠を述べなさい。

>10
あんたの言っていることは基本的に正しいが、津田はサヨ
ではないぜ。



13 :10:2000/05/17(水) 13:28
>11
元々神道のご神体って山とか木とか石とか自然物を崇拝するものが多く、
現在見るような神社の形ってのは仏教が伝来して寺の建築を見た神社側
が、それに対抗するための建築物を作ったってことです。

>12
うん。私も津田を左翼と見てないよ。便乗したおかしな連中が多かった
みたいだけどね。

14 :10:2000/05/17(水) 13:30
失礼
神社側→神道側
の方がいいね。

15 :名無しさん@1周年:2000/05/17(水) 16:59
age

16 :歴史好き:2000/05/18(木) 02:08
12へ。
根拠は宮内庁が持ってるよ。これは学問の分野に絶対解放しない史料だから
確たる証明はできない。神社の風俗を見てあれが日本古来のものと思えるかね?
大和朝廷の支配下にある日本の人口がせいぜい数百万人だったころに
大陸に3万人もの軍を送ることがどういうことか分からないかね。
 日本も時代が進めば、解放される史料も出るだろう。その時に根拠を持って
証明できると確信している。

17 :>16:2000/05/18(木) 08:24
>根拠は宮内庁が持ってるよ。

と言っといて、

>これは学問の分野に絶対解放しない史料だから確たる証明はできない。

って矛盾してない? 証明も何も議論以前の問題とちゃうか?

18 :名無しさん@1周年:2000/05/18(木) 12:09
おもしろい

19 :名無しさん@1周年:2000/05/18(木) 21:50
次は日本ピラミッドの発掘だ!

20 :>16:2000/05/20(土) 08:45
大和朝廷朝鮮起源説を絶対に認めない奴なんてどこにでもいるよ。
相手にするな。

21 :名無しさん@1周年:2000/05/20(土) 12:35
>19
確か高知県にピラミッドがなかった?

22 :>20:2000/05/21(日) 20:26
あまりにも空想的、自虐的発言が多いから言われるんだよ。


23 :名無しさん@1周年:2000/05/21(日) 20:46
中国・朝鮮系の古代文化(春秋以前)には、
「破れた国の祭祀も、鎮魂のために続けさせる」
習慣があった。
大和朝廷が大陸系の民族なら、出雲の鎮魂のために大伽藍を作るのもありうるだろうね。

確か伊勢神宮や諏訪大社も、地元神を大和神によって鎮魂・同化するために作ったんじゃなかったっけ?




24 :名無しさん@1周年:2000/05/22(月) 04:43
出雲大社が神社本庁に属していないという事実から考えて
井沢説は無視できないと思う。

25 :ニシヲ@独文学者:2000/05/22(月) 19:34
>20
日本は朝鮮などと何の関係もありません。
縄文時代から続く亜細亜でいっちばん偉い国だったんです。
馬鹿なことを言わないで下さい。

26 :神社建築と:2000/05/24(水) 12:26
寺?仏教建築は別物じゃないの?
伊勢神宮の神明造だっけ?礎石文化と掘立て柱文化という意味でも
違うんじゃない?

27 :>26:2000/05/25(木) 09:23
神社という建物が何をきっかけにできたか考えたことある?
それまでハダカの山や木を拝んでた聖地(?)に社ができたんだよ。
それって仏教が伝来して寺ができてからなんだよな、神道側で建物を作り始め
たの。

28 :名無しさん@1周年:2000/05/30(火) 11:14
しかし、今の日本人の常識では
考えられないから、昔の人の言っていることは
絵空事だっていう見方が、実は今の日本人がつまらない常識に
とらわれすぎていた。っていうことを、この出雲大社は教えてくれたね。

29 :>28:2000/05/30(火) 13:46
そうそう。それなんだよな。
ある意味で「トロイの木馬」(ウィルスじゃないぜ)的な話だったと思うよ。

30 :ごめんなさい:2000/05/31(水) 01:41
ROM人間だけどこのこととても興味あって。
もっと議論してほしいためにもあえてあげます。はじめての書き込みです。

31 :ぽち:2000/06/01(木) 01:47
出雲や越、なんていう日本海側の国は勝手に大陸と貿易し
てたんで、ほとんど独立国家みたいなものですよね。これ
は「日本海文化圏」なんて呼ばれてます。
この辺りは畿内に比べて発掘が進んでないだけで、掘れば
どんどん出てくるのではないでしょうか。

ひとつ、「歴史好き」さんがおっしゃってる「出雲と大和
がドンパチした」ってのはどういうことでしょう?調べた
んですがちょっと解らなかったです。

32 :>31:2000/06/01(木) 11:09
「出雲の古代史」(NHKブックス)を呼んだときに
確か初期の出雲連合対大和朝廷の話の詳細を
解説していたと思う。違ったらごめん。

あと、長野の「おんばしら」と出雲大社が高層建築だったことは関連性が
あるというか、多分、高層の社を立てるため、神木として柱を切り出す
行事が長野の「御柱祭」として残っているのだと思う。
神主も「どうしてこんな高い柱を立てるのかは知らない」と言っていた。
それぐらい大昔から行われていた行事と思われる。
この文化を仲介したのが越の国ではないかと思う。
高層建築の社と立てたのは、海に面した国では社は灯台として利用されて
いた(船旅の鎮守という意味だと思う)。出雲大社も昔は港に面して
立てられていたというし。
古事記でも初期の神様はみんな「柱」ですし、
国譲りの際に出雲の神様が逃げる先も諏訪神社です。
やっぱり関係あるのでしょう。

33 :ぽち:2000/06/02(金) 02:07
31>どうも。今度探してみます。出雲連合というと越(八千
矛神)・播磨(葦原色許男神)あたりでしょうか。よく勝
てたな大和…。
大国主の息子の建御名方は越を経由して諏訪に逃げている
ので諏訪・越・出雲はなにかしら関係があったのでしょう
ね。
また、日本海側には縄文時代以来の巨木建築文化が多くみ
られるそうです。

出雲大社灯台説は私も賛成です。宗像大社との関係や須佐
之男が海神であったなど、出雲には海を連想させるものが
多いです。

ところで、かつて大社があったのは海ぞいの杵築ですが、
大社の階段は海岸線とは向かって右側に平行していたそう
です。御神体は直接見ることは出来なかったそうですが、
社伝によると左側を向いていたとか。
ということは出雲大社の大国主は海を向いていたというこ
とに…。

34 :名無しさん:2000/06/02(金) 02:26
よく分かんねえけど朝鮮から来た=朝鮮系=韓民族つーのは短絡的だと思うぜ。

土台朝鮮から来たかどうかもわからねえんだろうけど。

35 :名無しさん@1周年:2000/06/05(月) 11:50
とにかく我々現在の日本人は出雲の文化(文明か?)も含めて、
各文化をすべて受け継いでいるんですよね?

36 :32:2000/06/05(月) 14:55
私は日本海文化圏と大和朝廷の文化が違うのは、
大和が内陸国だったからと考えています。つまり海に面していない国なので
灯台として高層建築を立てる意味がなかったと思います。
だから長野の御柱際のように、内陸では柱を立てる行事のみが残ったと思う。
見張り台ということも考えられますが、山がちな国の場合は山頂部に
砦を築けばそれで事足りるので、あまり見張り台のような高層建築が
発達しなかったと私は考えています。

>ぽちさんへ
ぽちさんがそうとう造詣が深いとしらずに
私のような素人が入門編のような本を紹介してしまって申し訳ございません。
(入門編にしては字多すぎ)。
あとで確かめたのですが、門脇禎二という人の本で、
この人の説を結構批判している人もいます。記憶にあるのは
遠山美智雄、確か大兄論だったと思う。
こういったことも念頭において読まれた方がいいと思います。
でも古代の地域史を解説した本が少ないのも事実です。
その当たりに光を当てたのはすごい功績だと私は思います。

37 :32:2000/06/05(月) 15:08
34
昔なにかの本(TVだったかなあ)で、島国の人間は、
祖先が山や岩から生まれたというより、他の島・陸地からやってきたという
伝承を選択するという話を読んだことがあります。
簡単にいえば、島国の人間は今でも後者の伝承に惹かれるということです。
(中国や韓国では他の地域からやってきたという伝説は確かなかったかと)
今の日本人のルーツ探しでもそうですが、ほとんどがサハリン経由、
半島経由、南西諸島経由といった「どこからきたのか」論で終始してますね。
こういう議論は島国でしか起こらないということだそうです。
文化についてもそうで、どこぞこ経由論が先行し、独自の文化も
どこの国の影響が見られるとかの議論ばかりで、その独自文化の内容に
ついてもあまり議論しない面が多いと思います。
つまり、最も極端な権力国内発生論よりも外国人征服論の方が
日本人は受け入れやすいということです。
もし「あなたの体には、昔、ユーラシアの大草原を駆け抜けた偉大な
騎馬民族の血の一滴が流れている。」なんていわれたら、気分はジンギスカン
(チンギスハーン)な感じなりませんか。
私は今では信じていませんが小学生の頃これでころっとやられてしまいました。
大人になってから反体制思想の一環だったことに気がついたけど。

38 :ぽち:2000/06/06(火) 01:56
 比較神話学という研究方法によって、日本神話の成立は
南方系の神話の影響を受けていると指摘されています。
 また、37にあるように大陸系の神話では祖先が天から降
ってきたという始祖伝承が多くみられます。

 これは日本人=縄文南方系+弥生北方系という(いささ
か古い説ですが…)、海流などによる文化の流入経路を基
にした文化人類学的な観点からも一致しますよね。…しま
すよね?

 現代の日本人は雑多な人種がごちゃまぜになっているの
でDNA鑑定とかは無理でしょうから、考古学的な発見が無
い限り結論は出ないのではないでしょうか…。

 でも自分の祖先がどこの誰だか解らないなんて、それは
それでちょっと心もとないかも。

39 :ぽち:2000/06/06(火) 01:57
>36
 確かに地域史からの研究は結構盲点ですよね。地図でみ
たら隣村なのに、実は山隔てていて文化的に断絶してた、
とか。

 まぁ、また日祖朝鮮説みたくなってしまいますが、画家
の多賀谷伊徳さんは「子供の頃はよく下駄履きのままポン
ポン船でちょっと釜山まで行ってきたというようなことが
よくあった」と本で書いています。

 元海上自衛隊の松枝正根という方が『日本古代の軍事航
海史』という本を書いていますが、古代史専門の方ではな
いので「?」な説もありますが、とても面白かったです。

40 :32:2000/06/06(火) 11:47
比較神話学はよくわかりませんが、確かに南方系の神話と符合する点は多いです。
しかし、記紀の中にある北方系の神話は、南方系ほど現地と類似していないと
きいたことがあります。私が知っているのでは、ある夜、神様が女性の部屋を
訪ねてきたが、だれか分からないので糸を結びつけてあとでたぐると…
という神話が北方系の神話だと思うのですが、これは朝鮮半島最北部と最南部、
南九州、大和のみ残っている神話で、騎馬民族説を裏付ける一つの説
だったんですが、比較すると、大和のだけはあまりにも変質しすぎていて
原典と思われる朝鮮北部の神話と同じであると判断するのも難しいという話でした。
つまり、朝鮮半島南部又は南九州の豪族が大和で出仕のために村を起こし
村の神を祭祀したときの古い縁起?をのちのち聞き写しただけで、大和の豪族の
神話ではなかったのではないかという説です。
ヤマトタケルの白鳥神話はアイヌ系の神話ですし、そもそも記紀神話は各地の
神話の寄せ集めです。途中途中にある神話で先祖がどこからきたのかを
論ずるのはあまり意味がないと思っています。
もし大和朝廷が大陸系であるなら、記紀のはじめは天から降りてくるはずですが、
実際はカオスから始まります。天から降りてくるのはもっと後の話です。
カオスから始まる思想は内陸にすむ土着の勢力が拡大したという大陸系の考え
方と同じです。大和は内陸国です。北方系と似すぎている神話は少ないので、
少なくとも大陸からやってきたのではなく、日本の内陸の国が拡大した
という方が妥当だと私は考えています(結構妄想かな)。
一方で島国の人間は自分たちの祖先は、よその土地からやってきたと考えますから
天孫光臨、神武東征はそうした考えから創られたと思われます。
(沖縄の神話では、琉球人は奄美の北から、王室の先祖は源為朝?と
島国特有の外来説を色濃く残しています。簡単に言えば、琉球王の起源は
日本民族征服説になってしまいます。さらに実際は南方から来たはずなのに
北から先祖がやってきたことになっている。)

41 :32:2000/06/06(火) 12:12
あと、37は、34の指摘があって、
なぜ日本人は「外国経由・起源論」の論争に走るのかというのを、
島国の人間の特性であると数例例示して私なりに書いてみたものです。
例えば、フランス宮廷の女性の扇なんて日本の扇子のまねです。
でもこれを書くと日本の扇子は中国から来たもので、日本は仲介したに
すぎないと思う人がいるのではないでしょうか。

最後に日本人起源論争に水を差そうという意図はありません。
(ぽちさんが気分を害されたのなら申し訳ありません)
しかし、多分DNA鑑定までして
民族の起源を調べる発想、それが国民の多くの関心事
というのは日本人ぐらいではないかと思います。
韓国人がどこからやってきたのか、何民族の血がブレンドされているのか
という話が韓国で起こっているなんて聞いたことがないもので。

素人の駄文につきあって頂きましてありがとうございました。

42 :>:2000/06/07(水) 16:02
古事記などに見られる神話や誕生物語は、大和朝廷の神話/祖先ばかりではない
というのは明らかだと思うのですが、仮に完全に他の文化圏を征服したり
殲滅させたりしてきたとしたらそういうのは残りにくいかな、と思うのです。
そうすると、出雲などとは少なくとも最終的には協調的な関係あるいは
一つの連合体になっていたのですよね。その時に文化の融合あるいは継承を
行なっており今日まで来ているというのは間違いなのでしょうか?

43 :32:2000/06/07(水) 17:54
>その時に文化の融合あるいは継承を
>行なっており今日まで来ているというのは間違いなのでしょうか?

間違いではないと私は思います。ただ、少なくとも継承したのは大和朝廷
というのは誤りで、地元豪族(王族)がそのまま生き残り、大化改新以降、
王国連邦(United Kingdom)から、地元豪族を地方官吏に衣替えさせて
地方政府を消滅させ、統一制度を施行して各地の内国化が始まった
と思います。そこで「各地の神話・伝承は、その地域の神話・伝承
だけでなく日本全員の神話」という感じで、伝承していこうという機運が
高まったのではないかと思います。その時、結局のところ地元豪族が
その担い手になったと思います(結構妄想ですが)。奈良時代以降には風土記、
万葉集やその他日本全域の神社の格付けなんかもやっており、大和系以外の神も
高く評価されているように、明らかに大和などの地域王国の範囲を
超えた日本という概念を持ちはじめたと思うのですが。

44 ::2000/06/07(水) 18:09
>訂正 3行目〜8行目
間違いではないと私は思います。ただ、少なくとも継承したのは大和朝廷
の豪族ではないかと。大化改新以降、地元豪族(王族)は地方官吏に衣替え
させられて地方政府は消滅しましたが地元豪族はそのまま生き残っています。
王国連邦(United Kingdom)が解消され、統一制度を施行し各地の内国化が
始まったときに「各地の神話・伝承は、その地域の神話・伝承 だけでなく
日本全員の神話」という感じで、伝承していこうという機運が高まったのでは
ないかと思います。その時、結局のところ地元豪族がその担い手になったと
思います(結構妄想ですが)。

45 :32:2000/06/07(水) 18:30
>他の文化圏を征服したり 殲滅させたりしてきたとしたら
>そういうのは残りにくい

私は実はそれほど記紀を読んだわけではないですが、殲滅された部族は
あまりないはずです。どちらかというと、多くの部族は恭順し、逆らった部族も
総督のような人物を受け入れたり、貢ぎ物したりする代わりに領土の一部を
保全されたというのが妥当ではないかと思うのですが。
実際に、多くの国が奉仕の義務のため畿内に出張所的な村を建設しているので、
征服、殲滅、住民総入れ替え(物部氏は征服地に根を下ろしたようですが)
というは想像しにくいと思います。それにこの出張所は吉備のように政界に
影響を持つものもありました(吉備は雄略天皇時にやられてしまいますが)。
薩摩もあの「参便廻ってワン」で奉仕させられました。むしろ地域性が
なくなったのは、大宝律令によって唐風の官僚機構が全国で一斉に導入
されたことに起因するのではないかと思います。
例えば琉球は明治政府に合併されました。でも琉球文化は現在、
沖縄県民がほとんどを占める「日本国の沖縄県庁」が保全しようとしてますね。
これは他の地域でも言えることです。明治以降に昔ながらの地域文化が
薄れたのは、中央集権化による画一的な制度と西洋文明の受け入れだったはずです。


46 :ぽち:2000/06/08(木) 01:28
 確かに「征服」という見方は正しくないかもしれません
ね。日本の歴史では、戦争で勝ったとしても敵国の首長を
すげかえるだけで(それも大抵親族)、中央が直接支配し
たということは少ないです。イギリスなどもそうですよね。
 皆殺しにして直臣に支配させたのは、日本史では織田信
長が初めてではないでしょうか。(小さい例外はあったと
思いますが)

 記紀でイイ役を貰っている神様や氏族は、大抵が記紀編
纂期に権力のあった人たちの祖先なので、日本神話が各氏
族伝承の集合体という考えは現在では定説です。(まぁ初
期大和朝廷自体が各氏族の集合体のようなものなんですが
…)

 出雲国造も出雲豪族の出雲臣(ややこしい…)が任命さ
れており、国造という制度自体は律令制度の中では消滅し
ていったものの、出雲国造だけはその体制を保ち続け、異
例の待遇を受けていたとか。
 これだけでも出雲の強大さを感じます。もしかしたら吉
備や筑紫も戦争で負けていなければ、出雲のように地方組
織や神話が続いていたかもしれませんね。

 ただ、日本書紀の場合は「中国の書物に負けない、漢文
で書かれた天皇家の歴史書」であるのに対し、古事記は序
文にも書いてある通り「諸家それぞれに伝承があってどれ
が本当か解らないので『本物』をひとつにまとめた文献」
であるということも忘れてはならないと思います。

47 :ぽち:2000/06/08(木) 01:29
>41
 いえいえ。気分を害するなんてことは無いですよ(^^;
学問では「解釈には答えが無い」とも言いますし。

 記紀でみると、南方系の創世神話が上巻前半部分に、北
方系の天孫降臨神話が後半に、中盤には不自然に挿入され
た形で出雲神話が、そのまたひとつ前には高天原神話が、
と様々な神話が混合されているので、それぞれの出所を調
べれば文化の流入とその時期(順番?)だとか影響力がわ
かるかな?と思ったのです。
 比較神話学でいえば、南方系の創世神話は東南アジアと
中国南部を中心にオセアニアから北アフリカ(!)まで分
布しています。でもそれを指して日本アフリカ同祖論と言
っている訳ではないのですから。

 まぁ騎馬民族征服論は私も懐疑的ですが…。山の多い日
本で馬に乗ってダカダカダカッって攻めてくるよりも、船
で上陸して歩兵で攻めたほうが効率良さそうですし。特に
大和なんかは。

 ところで件の「神様が女性の部屋を…」という神話は九
州のニニギ命の他にも、大和の大物主に関係して何度か見
られますよね。
 大物主は出雲とも関係の深い神なので、またここで出雲
に繋がりますね…?(ますます謎)。

 あ、DNA鑑定については他のスレッドで書いてありました
ね。勉強不足でした。

48 :32:2000/06/08(木) 13:44
>大物主は出雲とも関係の深い神なので、またここで出雲
>に繋がりますね…?(ますます謎)
そうですね。実は私も不思議に思っています。
いろいろな解釈があると思います。
出雲は新羅などの半島南部の国と交渉していたという話が
あり、あの神話は朝鮮半島南部にもあるので、出雲経由でも
流れ込んできたのはないかとも考えられなくはないのですが。
でも、ちょっと私の知識ではそこまで断定するのは無理ですし、
それに少し無理のような気がします。それにこのまま進めると
出雲騎馬民族征服説に発展してしまいそうですから(笑)
もう少しいろいろ本を読んでみますが、これ以上書き込むのは
やめておきます。

※ちなみに私がよく琉球を例に出すのは、
 相当昔に沖縄の古代史について記述した本(名前はもう忘れた)
 を読んで、そこに記されている政治制度の内容が邪馬台国の
 記述とそっくりだったからです(私は邪馬台国沖縄説ではありません
 念のため)。さらになぜ古代の沖縄人が中国よりも日本を選んだのか
 のを経済事情や奈良から鎌倉にかけての東アジアの貿易の仕組みとの
 からみで説明されており、感銘をうけたからです。
 今でも、古代の琉球の民俗を念頭に置いておくことは、
 邪馬台国時代の民俗や権力発生過程を知る上で十分参考になると
 思っています。(邪馬台国時代の資料は少ないですが、
 琉球の古代に関する資料・遺物は結構多いらしい)

49 :32:2000/06/08(木) 14:29
私が
>途中途中にある神話で先祖がどこからきたのかを
>論ずるのはあまり意味がないと思っています。
と発言したは、他にも書いていますがもう一つある知識に基づいて
います。
ぽちさんも知っていると思いますがカレンダーの議論です。
記紀では雄略天皇時代付近でカレンダーが変わってしまうという話です。
雄略天皇のころからのカレンダーが当時中国の南朝のものであり、
それ以前が唐のカレンダーです。つまり古い時代が新しい時代の
カレンダーを使用しているということで、これはそれ以前の
資料が、諸氏族が一族の家伝なるものを作るときには
存在しなかったということだそうです。
つまり、古事記や日本書紀編纂チーム、それぞれの豪族も、雄略朝以前は
手探り状態の中で伝承で伝えられた記憶を整理して
編纂時のカレンダーに基に日付を与え、記紀を作ったものだということです
(地方豪族や海外の資料は参考にしたと思います。)
この原因は、安康天皇?時代のクーデターで資料保管庫を含む
宮や敵対した豪族の屋敷が徹底的に破却されたからではないかと。
ただ、この説がきちんとした学説かどうかはわかりません。
しかし、これを前提にすれば、神話の出てくる順番から…というのは、
あまり関係がないとも言えます。

50 :ぽち:2000/06/10(土) 04:16
 この説はすでに明治時代からの解釈されている説なので
今では学会でも正統派の説になっていますよ。
 安康天皇時代のクーデターというのはちと解りませんで
す。戦後の「王朝交代論」というのは古い説になりつつあ
って、現在では王朝が別の王朝を打倒した、というもので
はなく大王権がさらに強力な豪族に移ったという「王統交
代論」に移り変わり始めていますね。

 で話を戻しますと、665年に作られた儀凰暦が雄略紀以前
に使用されていることにより、雄略紀以前の年表は信用出
来なくなりますよね。
 そのことによって、編纂者がどういう意図で年表を作り
出したのかなぁ、とかひょっとしたらこの部分の年表は史
実通りなのでは?といったことが解ったり推測出来たりす
るのではないかしら、と考えています。
 例えば、初代神武天皇以降の欠史八代の系譜から分かれ
る豪族は、壬申の乱で活躍したそれとほぼ一致しています。
つまりこの伝承は少なくとも壬申の乱以降に作られ、他の
30数人の天皇を押し退けてそれ以前に系譜を挿入してし
まうだけの影響力を持っていたと推測出来ます。
 また、47に書いたように遺跡などの発掘調査から調べた
年代にによって、縄文時代は南方系の文化を強く受けてい
たことが判明していますが、日本神話の創世部分からイザ
ナギ・イザナミ、アマテラス・スサノオのエピソードは南
方系神話によくみられるパターンを示しています。という
ことは神話と実際の創世(文化の形成)が一致しているん
ですよ!なーんて推測したりも出来るわけです。

 支配者層にしてみれば歴史なんてのは無理矢理にでも改
ざんしてしまえばいいものを、それが出来なかったという
ことは当時の日本人にその伝承があまりにも浸透していた
ということが伺えますし、それによって伝承の影響力や優
先順位が判明するのでないでしょうか。

51 :余談:2000/06/10(土) 18:58
横レス失礼します。いつもお二人の書き込みを興味深く読ませてもらってる
者です。

>安康天皇時代のクーデター

これは允恭天皇の死後、安康が当時皇太子だった木梨軽皇子を殺した(確か
自害と書いてあるのですが…。古事記では伊予に流されたとある)ことを言
うのでしょうか?

詳細を書くと長くなりそうなのでハショりますが、私としては安康の皇太子
木梨軽皇子からの王位簒奪を含め、安康-雄略時代は葛城氏(応神、仁徳以
来の有力豪族。後の蘇我氏同様、代々大王家に娘を嫁がせ力を持つ)政権に
対するクーデター(允恭時代に兆しはあった)の時代だったと見ています。
葛城氏+葛城派大王族(大草香皇子、眉輪王、市辺忍押羽皇子。ひょっとした
ら木梨軽皇子もそうかも)v.s.安康、雄略+反葛城氏豪族(雄略時代に大臣、
大連になった平群、大伴、物部氏でしょう)って図式ですが。

代々大王家を後ろ盾に大きくなった豪族ゆえ、一筋縄では倒せなかったのは
確かでしょうね。戦の激化や泥沼化は頻繁だったでしょう。ただ雄略を境に
葛城氏が活躍が無くなるから、完全に叩きのめしたようです。
で、この葛城氏は外交で実績があったために渡来系との結びつきも強い家で
した。つまり彼等自身も貴重な宝物や資料を持っていたと考えられるのです。
32さんの言う「資料保管庫を含む宮や敵対した豪族の屋敷が徹底的に破却」
されたことは大王家と葛城氏が一番大きく、両者が最も貴重なものを多く失
ったと思います。

破壊と殺戮の限りをつくした(もちろんそれだけではないですが)雄略天皇の
死後天皇家は混迷し、それが継体天皇の大王家奪取につながります。この時代、
一巨大氏族を排除するために大王家は、後継者と過去の資料や宝物といったあ
まりにも大きな代償を払いすぎたように思えてなりません。

横レス失礼しました。

52 :ぽち:2000/06/11(日) 03:08
 うーん、でも雄略天皇がクーデターで政権を奪ったとは
考えにくいんですよ。

 雄略天皇の悪いイメージはむしろその後の継体朝のクー
デターの正当化かと。古事記の記事では雄略は激しい性格
ではありますが、決して悪人には描かれていません。スサ
ノオやヤマトタケルのように人によっては好感も持てるか
もしれません。
 ですが、歴史書である日本書紀でははっきりと「大悪天
皇」と呼ばれています。河内王朝最後の武烈天皇も同様で
す。
 これは血縁関係の無い(または希薄な)継体朝が、悪王
を打倒して正しい応神天皇の血統を復活させた、という歴
史操作だったのではないかと。

 それに、雄略天皇が本拠地である泊瀬は葛城の勢力内で
すし。現在では葛城山はひと山だけを指しますが、古代で
は金剛山など連なる山々を葛城山と呼んだそうです。
 私はむしろ葛城のような大豪族をバックボーンとして大
王家の権力が保たれていたのではないかと考えています。
 衰退してしまった葛城の権勢を頼みに出来なくなった前
王朝が、息長をバックボーンとする継体王朝に取って替わ
られたのではないかと。

53 ::2000/06/11(日) 11:20
長い・・・

54 :名無しさん@1周年:2000/06/11(日) 17:37
このスレッド ウザいから
sageで2人だけでやってくんない?

55 :ぽち:2000/06/12(月) 02:29
 こりゃ失礼…。

56 :32:2000/06/12(月) 11:56
32です。
私のいいたいことは51の余談さんが書かれたことそのままです。
余談さんありがとうございます。

57 :32:2000/06/12(月) 14:14
>この説はすでに明治時代からの解釈されている説なので
>今では学会でも正統派の説になっていますよ。

ぽちさんありがとうございます。この説は、大昔に
高校の図書館で読んだ以来、その後いくら本を読んでも
これに関する記述がなくて確信がもてなかったのです。
そうですか、明治時代からある説ですか。

58 :32:2000/06/12(月) 15:13
さて、話を出雲に戻しますと、すっかり忘れていたのですが、
出雲の神話は出雲風土記と日本書紀の神話は系統が別です。
出雲風土記の神話は出雲東部の出雲臣系統の神話で、
一方、出雲西部の神話・伝承が日本書紀に集録されています。
これは早期の西部勢力対大和朝廷の抗争で決着が付いた後、西部地方が
大和朝廷の支配下に置かれ、この外征した将軍の一族(物部氏)が出雲西部
の神話を自らの一族の歴史に織り込んで留めおいた可能性があります。
門脇禎二の説では、後に蘇我氏も南方から進出して、そのときの
スサノオ伝承や西部の伝承が大和朝廷にとって重要な神話として記憶された
のではないかと提唱しています。
さらに、のちに日本書紀を編纂した忌部子首が出雲の国のみこともちとして
9年間着任しており、一方東部はぽちさんの指摘通り独立勢力が強かったので、
早期に大和の支配下に属していた西部の方の神話のみが伝わり、
そのまま西部のみの伝承が日本書紀に記載された可能性があります。
問題は、それほどまでに出雲をなぜ強く意識したかということになります。
当時の日本海航路(4世紀頃)は、比較的安全で重要な航路であって
その証拠に和迩氏が敦賀、大和間のルートを押さえています。
実際に湖西方面に和迩というそのままの地名が残っており、
また、今でも京都には奈良街道としてこのルートが残っています。
(当時のルートとは少しずれています)
このルート上には今でも和迩氏系統の大宅や小野などの地名が残っています。
当時、敦賀から朝鮮半島に向かうには、丹後半島、島根半島がネックとなります。
丹後の国は比較的に大和朝廷に従順であり、問題となったのは、
島根半島だったのでしょう。つまり出雲は初期の大和朝廷にとって
日本海航路の押さえるべき要所であったということで、
出雲の位置づけが高く、日本書紀などに大々的に記述しなければ
ならないことだったのかもしれません。

59 :32:2000/06/12(月) 15:39
また、神話の登場順位による影響論ですが、神話の展開では、
はじめに「世界創生」、次に「国造り」というシナリオになります。
これはやはり話の展開上こうならざるを得ないのではないかと思います。
そうすると、あまり神話の順番と文化形成との順はあまり意味がないと思います。
また、天から人が降りて来るという伝承については、
近江や丹後に残されている羽衣伝承(これは、海運氏族がいた国にある。)
があって、5世紀〜6世紀には定着したと言われており、
これは明らかに中国の「天の思想」の影響が見られます。
もしかすると「国造り」に当たる天孫降臨説話も北方系民族の伝承の影響ではなく、
そういった中国の「天の思想」の影響を受けているといえなくもありません。
実際に、大和朝廷は国津神を大和に残して天照大神を大和(国内)から
伊勢(国外)に移してしまうなど、天津神より国津神を重視しており、
天津神を大々的に祀るのはしっくりこなかった可能性があります。

つまり、「羽衣伝承」のように神話・伝承に外部の影響が
あったことは認めますが、その神話・伝承を大和側が記録した時期
の問題があるだけで(文化形成の影響を知る上では重要)
神話の掲載順番は、別系統の出雲神話の不思議な挿入のように
単なる構成上の問題だけはないでしょうか。
私は「世界創生」神話は単純なために影響を受けにくかっただけと思います。

60 :32:2000/06/13(火) 11:45
ちょっと訂正。
儀凰暦関連で資料を調べていると、日本で初めて採用された暦は
元嘉暦というもので、これが5世紀半ばに採用されたとのことでした。
つまり、その前には暦がなかったので
単に資料に日付がなかっただけとも言えるのですが、
果たしてどうなんでしょうか。
その前に暦がなかったというのはあり得ることなんでしょうか。
(葛城側の安康天皇暗殺後の雄略側のカウンタークーデターで
葛城氏の館が燃やされたので資料の一部が消失したというのはまず言えると思う)
私の信じてきた前提が崩れてしまって一から勉強し直しという感じです。

61 :ぽち:2000/06/18(日) 01:23
 元嘉暦は雄略天皇関係の発掘物でみられますね。上代の
暦の研究については岩波から出ていたと記憶します。詳し
いタイトルとかは忘れてしまいましたっ。

 天皇=時を支配する人、という概念もあるそうで、聖徳
太子や天武天皇が歴史書を編纂したのは、当時にしては我
々が思いもしないくらい画期的なことだったんだと思いま
す。
 また、それ以前は歴史というのは口伝で伝えられるのが
ほとんどだったので、文字を使って書物にするということ
は、支配者が自らの歴史を確たるものにする目的なので、
未だ政権が不安定だった安康や雄略の頃に資料として整頓
されていたかはちょっと解りません。
 悲しいですが、こういった文化の発達というのは、支配
者の都合によるものが大きいですね。それでも日本は万葉
集とかがあってまだマシな方ですが…。

 神話の登場の順序については、考え過ぎだったかな…?
お話としての無理の無さを古事記が選択した結果、後に編
纂された日本書紀が(歴史書ゆえに)それにならったのか
もしれませんね。
 天皇家と神が一系で繋がる、というのが日本神話の理念
だったので、他の地域よりも特殊な神話構造になってしま
うのも仕方が無いですし。

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