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自分の先祖が知りたい

1 :本多家7代目当主(予定):2000/06/17(土) 02:09
父親からは我が家の先祖は寺小屋をやっていたそうだが、
それ以前は何処からか逃げて来て今の土地に定住したそうだ。

何か自分の名字や家紋で先祖の事何とか分からない物でしょうか?

ちなみに我が家は
「本多」で家紋はよく分からないが徳川家の家紋を半分にして
下半分が木になっている様な奴です。


2 :竹田丹後守:2000/06/17(土) 02:36

その紋は「立葵」と言います 徳川家の三つ葉葵と同類のものです
(ほんとかどうか知りませんが、家康が本多忠勝?に「徳川と同じ
葵は不遜だから遠慮して他のものに変えろ」と言ったそうですが、
忠勝?が頑としてはねのけたとか)

苗字が「本多」で紋が「立葵」なら三河の本多氏の関係とみてまちが
いないでしょうな 「逃げた」というのは戦国時代に家康に逆らった
ということなんでしょうかなぁ?
(より詳しい方のツッコミをお願いします(^^;)


3 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 04:14
ただ先祖が僭称しただけだろ。

4 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 04:52
http://www1.harenet.ne.jp/~gs-msmz/maill.htm

ここのメーリングリストに入って聞いてみそ

5 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 10:22
まぁそういうのはまず図書館行って
角川姓氏辞典(だっけ)にでも当たるのがいいんじゃないかと。

でもその家紋なら確かに三河の藤原姓本多氏でしょうね。
もちろん、先祖が本多一族の武士だったか、
あるいは単に箔付けに本多姓と家紋を借りてきたかはわからないが。

6 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 10:57
先祖をかたる一般人の半分以上は詐称もしくはたんなる伝承です。

まあ、1はどっかで人殺しかなんかして逃げた奴の子孫だな

7 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 13:58
まず、戸籍や菩提寺の過去帳などの当時の公的書類で近い先祖からたどることをお薦めします。
戦争とかで紛失してなければ、少なくとも江戸中期まではさかのぼることができるはず。
それだけの伝承が残っているなら、本家筋に近付くにつれ系図古文書遺物などもあるかもしれない。

僭称だとすると明治以前はあやふやになっているだろうと思われます。


8 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 14:06
明治になる以前に「立葵」の紋を使っていたとすれば
僭称ではない、ってことは言えないかな?
「葵」関係の紋をそう易々とは使えないはずだと思うんだけど。
本多氏が(あるいは徳川氏でも)「葵」の紋を使うようになったのは
いつからなんですかね?知ってる人いますか。

9 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 14:13
西条秀樹(本名はわすれましたが本多ではない)も家紋は「立葵」ですよ。

10 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 15:58
>9
本名の名字は木本だね。
広島の出身だっけ?

11 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 15:59
>9・10
その話題をあまりつつくのはやめてください。
スレッド自体削除になりかねない・・・

12 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 16:37
「藤」系の姓で、紋は下り藤。
藤原氏の末裔だと信じ込み、それがアイデンティティのうちのトーチャン。
その子供は、そんなの先祖の誰かのどさくさまぎれだと思っている。

現存する系図の殆どは江戸時代のでっちあげ、って
どこかのスレで誰かが書いてたの読んだ気がする。



13 :名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 17:41
>12
ジョーシキですよ。
そんならウチの家は「丸に梅鉢」で名字に「菅」の字が
入ってるから菅原道真の子孫。

14 :12:2000/06/17(土) 18:35
>13
そうそう。要するにそういうこと。
「苗字と家紋だけで特定できてたまるか」と私はトーチャンに言いたい。

でもさー。本当かどうかわからない自分の先祖を
アイデンティティにしている人 結構多くないですか。
「自分の先祖は三浦一族です」ってあちこちで自慢してる
小学生の女の子がいるんすよー。うざったくて もー。
そういう輩は どーせなら桓武天皇まで遡って ついでに猿人まで遡っていただきたい。



15 :本多家7代目当主(予定):2000/06/18(日) 03:15
>ALL
為になりました。ありがとう。
でも結局本当の事は分からないんだね。
少なくとも初代は江戸中期に武士でなかった事は確からしいけど。

16 :>14:2000/06/18(日) 04:09
俺一応平家の落人の子孫ってことになってんだけど
やっぱ嘘かな?桓武天皇まで遡れるよね。


17 :八角に藤の左巴:2000/06/18(日) 04:29
うちの家紋ですが、17年前に実母が他界したとき、墓石の発注をしに石屋に
行ったら「そんな家紋は見たことがない」と言われました。
代々下総国結城(いまの茨城県結城市)に居るのですが・・・・・・。
ちなみに苗字は「増田」、代々庄屋だったとこまではわかっているのですが、
地元の寺が大正時代に焼失して過去帖がありません。どうすればいいかなぁ・・・。

追伸・うちの地元に「百目鬼」と書いて「どうめき」と読む奇姓の人が居ます。
本家はとなりの下館市のとある部落なのですが、なんでこんな苗字なんだろ?
と本人が言っていました。なにか情報お持ちの方おねがいします。

18 :名無しさん@1周年:2000/06/18(日) 04:38
カッコいい家紋だな>17

19 :名無しさん@1周年:2000/06/18(日) 14:12
百目木は東北の地名じゃなかったか?

20 :14:2000/06/18(日) 18:14
>16
ほんものの桓武平氏ならね。
松永伍一氏の随筆の中で、平家落人伝説のある村名一覧を見たことがある。
丸々1ページあるんだよ。日本全国こんなにいっぱいあるんか〜、が実感。
でっちあげの系図を支えに生きてきた山村の人々の哀れさが書いてあったけど
実際哀れだと思ったよ、これ読んで。


21 :名無しさん@1周年:2000/06/18(日) 19:13
鎌倉北条氏ですら先祖に僧侶がいて世代数が多いことから桓武平氏であることを疑われているからなあ。

22 :名無しさん@1周年:2000/06/18(日) 20:23
>17
>どうすればいいかなぁ・・・。

って何をどうしたいのかよくわからないけど
例えば、鶴紋の家から分家して鶴に丸の紋にするとか
鶴紋と菱紋の家が結婚して鶴に菱紋にするとか
そんな感じで紋のバリエーションはどんどん増えたらしいよ。
どんな組み合わせの紋であれ「そんな紋はない」という理由はないんじゃないの。
極論だけど、伝統と常識をヌキにすれば
「明日からモナーが我家の紋だ!」も可能でしょ。


23 :16:2000/06/18(日) 22:47
>20
それがね〜、そう哀れでもないのよ。確かに田舎者の
貴種への憧れって側面もあると思うけど、それよりも
もっと浅ましい政治的な動機があったらしいんだわ。
調べたら、平家の子孫を名乗ってる家ってほとんどが
地主階級らしいのね。どうやら田舎の地主が自分達の
権威を高めて支配力を強めようとしたっていうのが
平家落人伝説の真相らしいのよ。まあ効果があったか
どうかは別として。で実際俺の実家も地主の家なわけ
で、そういうことだったんだな、多分。
まあそういう伝説がまことしやかに広まっていると
いうことは、それだけ平家物語が地方にも伝播してる
ってことだろうから、それを広めた琵琶法師はすごいな
と思うわけです。


24 :名無しさん@1周年:2000/06/18(日) 23:03
日本中で平氏の落ち武者なんて山ほどいる。
我が家もそう言っているけど、本当は山名氏の名もなし落ち武者だそうだ。

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